金日成の実体についてはいろいろな説がある。北韓は金日成を神格化しており、金日成についての北韓の主張を100%信じることはできない。日本が敗戦した後、金日成が北韓に戻ってからの行動はある程度分かっているが、抗日闘争を展開していたとされる時期については知られていない部分が多いためだ。
金成柱(キム・ソンジュ)、これが金日成の幼いときの名前、または本名とされている。金日成の本名が金成柱だとされているが、北韓を統治した金日成が、本物の金日成だったのかどうかが疑問点となっている。これは金日成の独立闘争の経歴にも関連した敏感な問題だ。金日成は抗日独立闘争の英雄だったからこそ、北韓の統治者になることができた。金日成は1937年に咸鏡北道甲山郡にあった日本の官公署を襲撃し、日本の警察隊を撃退、普天堡一帯を一時占領した。日本の警察隊を敗退させたことで、金日成は一躍英雄になった。その金日成が大衆の前に現れたのは1946年のことだった。当時、韓半島の38度線より北に駐留していたソ連軍司令官が、金成柱という人物を金日成だと人々に紹介した。
北韓は、「金日成」は金成柱の仮名で、抗日独立闘争を展開した英雄の「金日成」と金成柱は同一人物だと主張している。しかし、金正柱は「金日成」とはまったく関係がない人物で、金正柱が抗日独立闘争の英雄「金日成」の名前を盗用したという説もある。つまり北韓を統治した金日成は抗日独立闘争の英雄「金日成」ではないということだ。
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