
三国志を一度も読んだことのない人は相手にしてはならない、という言葉があります。逆に、三国志を三回以上読んだ人も相手にしてはならない、と言われます。一度も読んだことのない人はあまりにも無知だからであって、三回以上読んだ人はその賢さにかなわないからです。ここで言う三国志は、史書、三国志のことではありません。三国志を基にして逸話などを取り込んだ、「三国志演義」のことです。長い間にかけて様々な事件を描いた「三国志演義」には、多様な人物が登場します。自分の本分を守ってきた人々、逆に、ずる賢く自分の利益だけを考える人々もいました。空しい権力争いの中で、命を失った人々もいます。話に没頭して読んでいると、自分はどういう人に当たるのかと振り返ることもあります。「三国志演義」は、中国ではもちろん、韓国でも漫画や文学作品、歌としても親しまれてきました。中でも、よく知られている場面は、諸葛亮が南屛山で南東風を祈る場面です。今日は、まず、この場面を歌った、「西道(ソド)の雑歌、孔明の歌、コンミョンガ」という曲をお楽しみください。
諸葛亮は、劉備の信頼を得て活躍した人物です。しかし、三国志ではこれといった活躍が目立ちません。「三国志演義」では、神出鬼没な人物で、曹操の軍隊を撃破する上で大きな功を立てる者として描かれています。その内のひとつが、先ほどお聞きになった、南東風を祈る場面です。中国で最も長い川、長江を間に挟んで、曹操と孫権の軍が向かい合いました。曹操の船に火をつければ勝てそうですが、風が思うままの方向へと吹いてくれません。南東の風が吹けば曹操の方へ火を飛ばせますが、ちょうど北西風の季節だったのです。このとき、風の方向を変えようとしたのが、諸葛亮です。諸葛亮が南屛山に祭壇を築いて何日間も祈りを捧げると、本当に南東の風が吹き始めたのです。諸葛亮が普通の者ではないと分かった孫権の武将、周瑜は、人を使って諸葛亮を除去しようとします。でも、このことさえも予測していた諸葛亮は、予め将軍、趙雲と準備をしていました。趙雲は、追いかけてくる孫権の船を弓で攻撃し、諸葛亮の船は孫権の領域から逃れることができます。次の曲は、この場面、「趙雲が弓を射る」場面をお楽しみください。
「趙雲が弓を射る」場面でした。パンソリ、赤壁歌の中で、「赤壁の戦い」の場面と共に、最も緊迫と言われる場面です。赤壁は、曹操の軍が孫権の攻撃で敗れた場所です。後日、中国の北宋時代の代表的な詩人、蘇軾は、ここで、「赤壁の賦」という詩を作りました。赤壁の川で作った、人生の空しさを表現した詩です。韓国では、短歌や誦書(ソンソ)という歌い方で継承されています。今日の最後は、「誦書、赤壁の腑、チョックビョッブ」という曲をムッ・ケウォルさんとパク・ユンジョンさんの歌で、お楽しみください。当時、赤壁で戦った兵士は、ほとんどが力のない民でした。故郷にいる家族を、切なく想ったことでしょう。赤壁の赤い岩には、彼らの恨みと魂が漂っているような気がします。