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特別番組

7. 金泳三元大統領が死去

2015-12-29

7. 金泳三元大統領が死去
韓国の民主化に大きな足跡を残した金泳三(キム・ヨンサム)元大統領が11月22日、死去しました。
87歳でした。
葬儀は国家葬として執り行われ、国会議事堂前広場で行われた告別式にはおよそ7000人が参列しました。
葬儀委員長を務めた黄教安(ファン・ギョアン)国務総理は弔辞で、「生涯を民主化のために捧げた金泳三元大統領の足跡を韓国国民は忘れない」と述べました。
金泳三元大統領は1954年の第3代国会議員選挙で与党自由党の候補として出身地の巨済で立候補して当選、国会入りを果たしました。
26歳のときで、最年少国会議員でした。
当選後間もなく、当時の李承晩政権が大統領の三選禁止を撤廃する方向で憲法改正を進めると、それに反発して自由党を離党、野党民主党の結成に加わり、野党政治家になりました。
その後、朴正煕政権と全斗煥政権の軍事独裁を辛らつに批判し、1984年には故金大中元大統領とともに「民主化推進協議会」を結成するなどして、民主化闘争を主導しました。
1990年には盧泰愚氏の民主正義党、金鍾泌氏の新民主共和党、金泳三氏の統一民主党の3党を統合、巨大与党の「民主自由党」を誕生させ、1992年の大統領選挙で民主自由党の候補として立候補し、金大中氏を抑えて第14代大統領に当選して「文民政権」を誕生させました。
金泳三元大統領は就任後、軍部の政治介入を徹底的に排除し、多様な分野で果敢な改革を進めるなどしましたが、任期終盤の1997年には経済状態が悪化し、IMF=国際通貨基金に援助を要請する事態となり、経済政策は失敗した大統領だとする指摘もあります。

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