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「クァンデの歌」ほか

#国楽の世界へ l 2018-11-28

国楽の世界へ


シン・ゼヒョ先生は、韓国の西南部に位置する全羅北道(ジョンラブクド)、コチャンいう地域の下級の役人でした。役人の下で実務を担当する役割です。薬屋を運営した父のおかげで、生活には余裕がありました。子供のときから儒学者の下で勉強をし、凶作の年には飢えた民を助けたそうです。朝鮮時代の王宮、景福宮(キョンボックン)を再建するときは寄付金を出し、官位を受けたこともあります。でも、朝鮮時代には支配階級のヤンバンでない限り、役人だとしても社会的な活動には制約があったようです。その代わり、シン・ゼヒョ先生は伝統芸能パンソリに力を注ぎました。それまで伝わっていた歌を理論的にまとめ、歌い手を指導することも支援しました。直接歌詞を書くこともありましたが、中には、芸人を意味する「クァンデの歌、クァンデガ」という短歌の歌詞もあります。パンソリの歴史と歌い手の心構えなどを表現したものです。この曲は歌詞だけが伝わっているので、新しくリズムをつけて歌われています。今日の最初は、アコースティックアンサンブル、ゼビの歌と演奏で、「クァンデの歌、クァンデガ」という曲をお楽しみください。


先生は、優れた芸人クァンデの条件として四つの要素を提示しました。その第一は、歌ではなく外見だそうです。人の感情に訴える芸人は、好感を与える姿勢が重要だということでしょか。数年前、朝鮮時代初の女性の歌い手のストーリ、「桃梨花歌(トリファガ)」という映画が作られました。シン・ゼヒョ先生と、女性の歌い手ジン・チェソンのお話です。当時は、パンソリの歌い手は男性だけで、女性ができることではありませんでした。先生は彼女に歌を習わせ、王宮の宴会に男装をして参加させたそうです。その後、彼女が王族の寵愛を受けて故郷に戻れなくなると、先生は「桃梨花歌」という歌を作りました。この歌にジン・チェソンの名前が登場することから、二人が恋人同士ではなかったかと思うこともあるようです。でも、重要なのは、宮中の宴会に男装をして参加したジン・チェソンのおかげで、後日多くの女性の歌い手が活躍できるようになったのです。そういう意味で、シン・ゼヒョ先生は、真のアーティストだったと思います。今度は、シン・ゼヒョ先生と同じコチャンという地方の出身で、パンソリ界の大物、キム・ソヒ先生の歌で、「沈清(シムチョン)の歌の中から、秋の月の明かりが庭に満ちる、秋月満庭(チュウォルマンジョン)」という曲をお楽しみください。


父の目を治すために自らを犠牲にした親孝行の娘、沈清が皇后になってから父を恋しく思う気持ちを表現した曲でした。今日の伝統的なパンソリは、「春香歌(チュンヒャンガ)」、「沈清歌(シムチョンガ)」、「赤壁歌(チョッピョッガ)」、「水宮歌(スグンガ)」、「興甫歌(フンボガ)」の五つの作品が伝わっています。シン・ゼヒョ先生の当時は、十二の作品があったそうです。先生は今でも継承されている五つの作品を含め、六つの作品を改作しました。その中で、今日は、「赤壁の歌、赤壁歌の中から、兵士の悲しみ、グンサソルム」という曲を、ユン・ジンチョルさんの歌と、チョ・ヨンスさんの太鼓でお楽しみください。先生が改作した「赤壁の歌」には、権力のある者の間で犠牲になった民の悲しみを表現した場面などもあります。シン・ゼヒョ先生は、パンソリの伝統を継承しながらも、当時の社会像をうまく表現した方といえます。

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