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元慰安婦の象徴、金福童さん死去

2019-02-03

ニュース

ⓒYONHAP News

慰安婦被害者の象徴的存在とされた金福童(キム・ボクトン)さんが28日に亡くなりました。

享年93でした。

金福童さんは自らの体験の証言活動を行うとともに、戦時の女性に対する性暴力の根絶を訴えてきました。

文在寅大統領は29日葬儀場を弔問し、「歴史を正しく立て直す先頭に立った。生きている慰安婦被害者23人のために道理を尽くす」と追悼メッセージを寄せました。

慰安婦被害者を支援する市民団体の正義記憶連帯によりますと、金福童さんは植民統治下だった1926年に韓国南部慶尚南道梁山に生まれ、14歳だった1940年から旧日本軍の慰安婦として中国、マレーシア、インドネシア、シンガポールなどの戦場を転々とさせられながら慰安婦としての生活を強いられたということです。

終戦後、アメリカ軍の捕虜収容所を経て、1947年になってようやく帰国しました。

金福童さんは被害者でしたが、名目上は旧日本軍第16司令部所属陸軍病院の看護師となっていたため、アメリカ軍の捕虜収容所に収容されたということです。

金福童さんは1992年に元慰安婦だったことを公開しました。

1992年8月には旧日本軍慰安婦問題解決のためのアジア連帯会議で慰安婦だった当時の痛々しい体験を証言し、翌1993年にはオーストリアのウィーンで開かれた世界人権大会でも体験を証言しました。

金福童さんは慰安婦だったことを公開したあと、日本を含む世界各地で体験を語り、戦時の女性に対する性暴力の根絶を訴えるなど、人権運動家として活動しました。

2012年には慰安婦被害者支援団体とともに戦時の性暴力被害者を支援するための「蝶々基金」を作ったりもしました。

最近では、2015年12月の韓日慰安婦合意を厳しく批判し、合意に基づく「和解・癒やし財団」の解散を求め、「1人デモ」などを展開しました。

こうした活動が認められ、カリフォルニア州グレンデール市議会は金福童さんに「勇敢な女性賞」を授与し、国境なき記者団とAFPは金福童さんを「自由のために戦う英雄100人」に選定しました。

28日には別の慰安婦被害者1人も亡くなっていて、政府が認定した慰安婦被害者240人のうち、生存者は23人になりました。

慰安婦被害者問題の解決は加害者の謝罪から始まります。

賠償や補償はその次の問題で、慰安婦被害者らは日本政府の謝罪を求めています。

残念なことに日本政府は歴史的な事実すら認めようとしていません。

韓国政府が慰安婦合意の見直しを進め、「和解・癒やし財団」の解散に踏み切るしかなかったのもそのためです。

未来志向の関係を作っていくためにも、この問題により前向きに取り組んでいく必要があります。

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