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臨時政府樹立から100年

2019-04-13

ニュース

ⓒYONHAP News

韓国では11日、1919年の「大韓民国臨時政府」樹立から100年に合わせて、各地で記念式典が開かれました。

大韓民国臨時政府は1919年4月に中国の上海などで政府樹立が宣布されてから日本の敗戦で1945年に解放を迎えるまで、独立運動の中心となり、韓民族を代表する政府としての役割を果たしました。

臨時政府は三一独立運動が契機になって樹立されました。

1919年3月1日、ソウルで日本の植民統治からの解放を求める反日独立運動が起こりました。

ソウルではパゴダ公園に集まった学生たちが正午に行動を開始、民族代表らが独立宣言書の朗読を終えると、太極旗を手にして「独立万歳」を叫びながら街頭に出て、数万の群衆が参加する大規模なデモとなりました。

3月半ばごろからは韓半島全土に運動が拡大しました。

日本はこの独立運動を徹底的に弾圧、憲兵・警察のほかに正規軍も投入した鎮圧作戦を展開、鎮圧作戦の過程で多くの犠牲者が出ました。

三一独立運動は多くの犠牲者を出して終わりましたが、その後も日本による弾圧は続き、独立運動を主導した人たちが中国などに逃れました。

海外に逃れた独立運動家らが中心となってウラジオストック,上海,ソウルの3カ所で臨時政府樹立が宣布され、1919年9月には上海臨時政府に統合されました。

臨時政府は三権分立を基礎とする民主共和制を掲げました。

臨時政府は1919年から1932年まで上海を拠点としていましたが、1932年4月の天長節の日に上海の虹口公園で行われた祝賀式典会場で、独立運動家の尹奉吉(ユン・ボンギル)義士が要人席に手榴弾を投げ、日本の上海派遣軍司令官陸軍大将や上海日本人居留民団行政委員長が死亡するなど、死傷者が出た事件を契機に、日本軍は臨時政府掃討に取り掛かり、その後は中国各地を転々とするようになりました。

そうした中でも中国は陸軍中央軍官学校に臨時政府主導の独立軍を訓練する部署を設置するなど、独立運動を積極的に支援しました。

臨時政府は民族の中心となり、日本を相手に独立戦争を展開し、韓民族を代表する政府として外交も展開しました。

日本の敗戦で韓民族は植民統治から解放されましたが、戦勝国の利害が絡む中、臨時政府は正式の政府として認定されませんでした。

そのため大韓民国政府は臨時政府とは関係なくアメリカ軍政下でアメリカ主導で樹立されました。

にもかかわらず、大韓民国憲法は臨時政府の正統性を明記しています。

臨時政府は三権分立と議会主義を前提に政府樹立を宣布し、今日の大韓民国政府の基礎をつくり上げました。

一人あたり国民所得3万ドル、経済規模世界11位、被援助国から援助供与国への成長、そのすべては臨時政府の基礎があったからこそ成し遂げることができた成果です。

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