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国立博物館と韓国戦争

#マル秘社会面 l 2020-08-05

玄海灘に立つ虹


7月22日から国立中央博物館も事前予約制度を導入して、公開が再開されています。その国立中央博物館で6月25日から9月13日まで開催されている特別展「6.25韓国戦争と国立博物館」展は、これまでの特別展とはちょっと違った内容です。

第2次世界大戦の際にフランスのルーブル美術館でナチスの手から美術品や文化財を守ろうと、博物館の職員らが命がけで美術品を疎開させた話は有名です。しかしそれと同じような努力が韓国の国立博物館でも行われていたことはあまり知られていません。

1950年6月25日に北韓が韓国に侵犯し、韓国戦争がはじまりますが、その3日後にはソウルの国立中央博物館にも北韓人民共和国旗がはためきます。北韓軍は博物館の職員に対して第1級の文化財をすべて梱包して市内の他の場所に移すようにと命じます。しかし職員たちは「梱包する紙が足りない」「木箱を作る材料がない」などと、なんだかんだ理由をつけて作業を遅らせていました。

そして3カ月後、ソウルが国連軍により奪還され、北韓軍はあわてて退却していきます。しかしその後も戦況は一進一退を続けまたいつソウルが北韓軍の手に落ちるのか分からないという状況で、当時の館長キム・ジェウォンさんは、その前に博物館の所蔵品を戦火の及んでいない釜山に疎開させようと決心します。

しかし当時の文教部ペク・ナクジュン長官の許可はもらったものの、釜山までの輸送手段が確保できません。当時は兵力と避難民を輸送するのに手一杯で文化財まで運ぶのは困難とみられました。その時に手助けしてくれたのが当時の釜山米国弘報院のユージン・ケイネズ院長でした。人類学者でもあった彼はキム・ジェウォン博物館長の願いに応じて米軍にかけあってくれました。

その結果、貨物列車が確保され、博物館からソウル駅までの輸送トラックも米軍の輸送部が担当してくれました。1950年12月6日、キム館長と博物館幹部、そしてその家族など16人が貨物列車に文化財と共に乗り込み、4日かけて釜山に到着しました。そしてその1カ月後、ソウルは再び北韓軍に占領されてしまいます。

その後も何度かキム館長ら職員は密かにソウルに戻り、残してきた一部の文化財をすべて釜山に運びます。これにより国立博物館が所蔵していた文化財1万8883点は430個の箱に入れられ戦争が終わるまで釜山で無事に守ることができました。


またもう一つの秘話として、当時の李承晩大統領は戦争勃発直後の1950年7月に国防省に命じて、国立博物館慶州分館にあった新羅時代の金冠をはじめとする主要文化財139点を韓国銀行の金塊と共にサンフランシスコのバンク・オブ・アメリカの金庫に送り出しています。そしてこの文化財は戦後、アメリカの8大都市で開催された『Masterpieces of Korean Art』展で公開されたのち、無事、韓国に帰国しました。


今回の特別展では当時の貴重な資料が公開されています。残念ながらソウルまでいらして直接ご覧になることは難しいと思いますが、国立中央博物館のホームページではオンラインで学芸員の解説が聞けるようになっています。興味のある方は是非一度、ご覧になってください。

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