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第569話 頭髪の自由化、全国でようやく進むか

#アジュンマの井戸端会議 l 2020-08-18

玄海灘に立つ虹

ⓒ Getty Images Bank

全校生徒の頭髪はスポーツ刈りのみとした大邱(テグ)の私立男子高校に対して、国家人権委員会が頭髪の規定を改正するよう勧告しました。ヘアスタイルなど生徒の容姿についての権利は憲法上の基本権であるため、頭髪の自由を保障すべきだと人権委員会は判断したのです。


この高校では、学校側が頭髪検査を行いツーブロックなどを禁じるなどと生徒の頭髪を過度に規制しているとして、去年10月、生徒4人が人権委員会に陳情を提出していました。高校の校長は、人権委員会の調査で、「本校の頭髪規定にはスポーツ刈りと明示されている」とした上で、「規定は生徒や保護者、教員などの意見を長い期間聴取しそれをもとに民主的な手続きを通じて定められたものであり、生徒の意見を無視した強圧的なものではない」と話したということです。


この学校では6週間に1度、頭髪検査を行っており、規定では、「前髪は、手で押さえた状態で眉毛の上、おでこの一部が見えなければならない」「側面は耳がきちんと見えなければならず、後ろは襟につかないスポーツ型頭髪」と定められています。ちなみにツーブロックとは、サイドや襟足を短めにカットし、段差ができるような髪型のことです。もう一つ、この高校で規定違反とされている髪型は、サイドと襟足を短くし前髪だけ長くするマッシュスタイル(キノコ型)で、全体的には丸い形をしている場合が多いです。


韓国では長髪が強要されていた歴史があります。高麗時代、忠烈(チュンリョル)王(第25代王 1274~1308在位)は臣下と国民にモンゴル式の辮髪(前頭と両側頭部を残し、左右両耳の後ろにそれぞれ1個ずつ編んだ髪を垂らすスタイル)を強要しており、のちに恭愍(コンミン)王(第31代王 1351~1374年在位)が禁止するまで続いたといいます。また清から辮髪を強要されていたときもあり、長髪が抵抗の意味として受け止められていた時期もありました。その後、植民地時代に入った頃には日本式の制服と短髪が導入されました。


中高校生の頭髪については1960年代から、過度な規制が行われているとして問題視されてきました。また1970年代にはヒッピー文化の流入により長髪が流行し、成人に対しても長髪が軽犯罪として取り締まりの対象となりました。1980年代、服装の自由化(制服を着なくなった)と時をほとんど同じくして頭髪自由化が実施されましたが、これはそれ以前の厳しい規定を緩和させたに過ぎず、依然としてヘアスタイルや長さについての規定は存在していました。1985年にまたしても制服が取り入れられましたが、頭髪については学校別に規定が緩めに維持されている状況です。ソウルなど首都圏より地方のほうが相対的に規定が厳しいところが多くなっています。

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