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チ・ミョングァン(池明観)氏と日本

#マル秘社会面 l 2022-01-05

玄海灘に立つ虹

ⓒ YONHAP News

新年早々、訃報が飛び込んできました。 池明観(チ・ミョングァン)元翰林(ハンリム)大碩座(せきざ)教授が1日、持病のため死去しました。97歳でした。


日本のメディアでも韓国のメディアでもチ・ミョングァンさんを紹介する時に一番最初に出てくるのが日本の月刊誌「世界」に1973年から1988年まで連載されていたコラム「韓国からの通信」でした。

しかし連載当時、このコラムの内容が韓国の民主化運動弾圧の実態を告発していたものだったため筆者の素性は極秘、「T・K生」というペンネームだけが知られていました。このペンネームの主人公がチ・ミョングァンさんだったことが公開されたのは連載が終了してから20年近く過ぎた2003年の事でした。

49歳で「韓国からの通信」の連載をはじめ、64歳で連載を終え、79歳になりようやく「T・K生」は自分だったと発表したのです。「韓国からの通信」を連載していた頃、1986年から9年間ほどは東京女子大学の教授を務めていました。


1993年に韓国に帰国してからは、今度は知日派の学者として韓日交流、特に 金大中(キム・デジュン)政権では日本の大衆文化の開放政策などに深く関与しました。

朝日新聞の報道によれば日本の大衆文化開放の政府の諮問委員会の委員長を務め

「日韓の問題は、つまらないことですぐ逆戻りする。国民の大半が反対していることをやろうとするのだから、慎重にことを進めなくてはなりません」と語っていたといいます。

さらに2001年に日本の歴史教科書問題が起きた時にはKBSの理事長でした。当時のことをのちに、「教科書問題で政府が騒いでいても、国民的な交流は続く。それを進めようと努力したんです。政府が何と言おうと、われわれ国民はこういうふうに交流すると胸を張れる、自信を持った国民にならないとだめです。それが日韓だけでなく、今後のアジアの方向。狭量な国家権力に対して、市民の良識が勝っていかないとね」と語っていました。

最後に日本語放送にもチ・ミョングァンさんの足跡は残されています。2005年に出された「KBS日本語放送半世紀の物語」の中で「お祝いのことば」を寄稿してくださいました。その一部をご紹介しましょう。

韓日関係は決して順調といえるものではなかった。それを考えるならばKBSの日本語放送が歩んできた半世紀は、ある意味では解放後、韓日関係がへて来たけわしい道をそのまま反映していると言えるかも知れない。

今や「KBS日本語放送」はアジアの平和を希求する放送であらねばならない。それが「KBS日本語放送」が次の半世紀に歩んでいかねばならない道であるといえよう。

韓日関係がかつてなく冷え込んでいる今、知日派の知識人が、第二のチ・ミョングァンさんのような学者が出てくることを心から祈ります。そして故人の冥福を心からお祈りします。

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