自己啓発本『セイノの教え』
2024-03-21
韓国の伝統の踊りと言えば、多くの方が扇の舞、「ブチェチュム」を浮かべるのではないかと思います。華やかなチマチョゴリを身に着けた女性らが、両手に扇を持って踊る舞踊です。華やかな扇を広げて、集まったり散らばったりして、山や海、お花の形などを作り出します。華やかな動作がとても美しく、優雅です。韓国では小学校の頃、ブチェチュムを踊った記憶のある方も多いでしょう。ところが、ブチェチュムは、そんなに昔の踊りではありません。1954年、キム・ペクボンさんという舞踊家が作った、創作舞踊なんです。初めは、一人で踊る踊りでした。1968年、メキシコで開かれたオリンピックで、韓国民族芸術団が披露し、その後、韓国を代表する踊りになったのです。ブチェチュムを踊る時の伴奏音楽としては、太平を祈る「太平歌(テピョンガ)」など、京畿(キョンギ)地方の民謡が使用されます。今日の最初は、イ・センガンさん他みなさんの演奏で、「ブチェチュムの伴奏音楽」をお楽しみください。
統一新羅時代の末、今から約1100年余り昔のことです。王様が海辺に出かけると、霧が漂っていて四方を区分することができませんでした。臣下たちは、龍王がしたことなので、何か良いことをしない限り解決できないと述べました。王様は、近くにお寺を建てるよう命じます。すると、霧が晴れて、龍王が息子を連れて来て音楽を演奏し踊りながら、感謝の気持ちを表したそうです。そして、息子の一人が、新羅に残ることにしました。それが、処容(チョヨン)という者です。処容は、ある日、病を移す疫病神が自分の妻を奪おうとしたのを見ました。しかし、彼は怒るのではなく、逆に歌を歌って踊ったそうです。その姿を見た疫病神は、処容の姿を見てむしろ感動し、今後は処容の顔の絵を見るだけでも近づかないと誓ったそうです。その後、人々は処容の顔を描いて門に張り付け、悪い気運を退けたとのことです。当時、処容が歌ったと言われる歌、「処容歌(チョヨンガ)」は、今ではリズムはなくなり、歌詞だけが伝わっています。そして、彼の踊りは、5人の踊り手が大きな処容の仮面をかぶって踊る、ダイナミックな宮中舞踊となり、今日まで伝わっています。今日は、「処容の踊り、処容舞(チョヨンム)の伴奏音楽」を、韓国芸術総合学校の伝統芸術院の演奏でお楽しみください。
処容の踊りは、2009年にユネスコ人類無形文化遺産に登録されました。他にも、処容の踊りと似たような役割をする踊りがあります。昔の人々は、悪い気運が、人間の世の中に影響を及ぼすと信じました。そのため、村で祭祀を捧げるときは、プンムルペという群れが厄払いをしたり、巫女ムーダンがグッという祭祀を捧げるとき厄払いの踊りを踊ったものです。そのような踊りが民間で広く知られ、今日の厄払いの踊り、「サルプリチュム」になったのです。今日の最後は、このサルプリチュムの伴奏音楽、「シナウィ」という曲を、国立国楽院の民族楽団の演奏でお楽しみください。この曲は、国の無形文化財第97号に登録されたサルプリチュムの伴奏音楽です。サルプリチュムは、白い服を着て、白の長いタオルのようなものを振りながら踊る踊りです。人の動きは少ない代わりに、空中で描くラインが美しい踊りなんです。
2024-03-21
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