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文化

「關山戎馬」ほか

#国楽の世界へ l 2019-06-19

国楽の世界へ


現代の文学のために大きな役割りをした文人、イ・グァンスさんは、もともと、イ・ボギョンという名前だったそうです。ところが、「關山戎馬(クァンサンユンマ)」という歌を聴いて、その作家への思いで名前を変えたと言われます。「關山戎馬」は、文人、シン・グァンス先生の作品です。中国の詩人杜甫(とほ)の詩、岳陽楼(がくようろう)に登り、という意味の「登岳陽楼(とうがくようろう)」という作品を素材にしたものです。楼閣で、關山(クァンサン)の戦争を嘆く気持ちを表現した作品です。「關山戎馬」は、科挙の試験で2位に入った作品です。ですが、一種の予備試験で、それほどすごいとは言えない試験だとも言われます。1位でもなく2位になった作品が数百年の歳月歌として継承されたのです。それは、歌詞そのものも立派ですが、リズムはもちろん、その歌を歌う人の心も美しかったからだと思います。今日は、まず、キム・グァンスクさんの歌で、「關山戎馬」という曲をお楽しみください。


「關山戎馬」は、主に平壌(ピョンヤン)地域の芸者キーセンがよく歌ったそうです。シン・グァンス先生が、平壌を訪ねたとき、モランという名のキーセンが「關山戎馬」を歌うのを見て残した記録があります。モランと共に川辺の美しい東屋に行ったり、舟遊びもしたようです。月の明かりの下でモランが自分の詩、「關山戎馬」を歌うと、その声が空の雲を止めるようだったとのことです。妻を失って彷徨っていた詩人が、美しい女性が自分の詩を歌うのをみたとき、どんなに格別な思いであったか想像できます。「關山戎馬」はその後も色んな地域で歌われたそうです。これまで伝わっている歌は、平壌を中心とする西道(ソド)地域の歌です。西道地域の歌は、若干鼻声が混じっていて、哀切な感じがするのが特徴です。「關山戎馬」の寂しい雰囲気とよく似合っていたからだと思います。今度は、西道地域の歌、「楚漢歌(チョンハンガ)」という曲をお楽しみください。


四面楚歌(しめんそか)」という言葉があります。周りが全て敵で、孤立したことを意味します。楚漢(そかん)戦争の項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)の戦いでは、楚(そ)の国の歌が響き渡りました。楚の兵士としては、命がけで戦う戦争で疲れ果てている中、四方から故郷の歌が聞こえてきたのです。その雰囲気が楚の兵士のやる気を失わせ、戦争で楚の国は負けてしまったとのことです。歌は、国の運命を左右することもあるようです。今度は、西道(ソド)地域のパンソリとも言われる、「ベベンイグッ(배뱅이굿)」という曲です。パンソリのように一人の歌い手が長いストーリーを歌うということで、西道のパンソリとも言われました。平壌地方のお金持ちの一人娘、ベベンイが亡くなると、娘を恋しく思い、巫女ムーダンを呼んで祭祀を行う内容です。ところが、偽者のムーダンが、お金を騙し取るというお話です。それでは、「ベベンイグッの中から、偽者の男性の巫女ムーダンがグッという祭祀を行う場面、배뱅이굿 중 가짜 박수 무당 굿하는 대목」という曲を、イ・ウングァンさんの歌でお楽しみください。「ベベンイグッ」は、自分が騙されていることも知らずに、財産を奪われる人を警戒しています。また、地域特有の音が楽しい音楽でもあります。

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