映画『破墓』
2024-04-03
首を垂らしてよたよたと歩いてくるはる子の姿が遠くに見えた。
「はる子!今日はずいぶん遅かったわね。」
「うん、うちの人がお腹が空いてないっていうから朝御飯がおそくなったの。」。
はる子の夫は2年前の今頃、亡くなっていた。
夫が亡くなってからもはる子は一日も夫の食事を欠かすことはなかった。
だからといって、まるで夫が生きているように話すことはなかった。
どうもはる子の様子がおかしい。
「はる子、さだ子の家に行こう。」
「さだ子?」
「そう、さだ子。私たちの幼なじみのさだ子よ。」。
彼女たちは町に一つしかなかった普通学校の同窓生だった。
日本による植民地時代に出会ったため、今も日本式の名前で呼んでいるのだ。
「私、そんな人、知らない」
さだ子を知らないなんて、そんなはずはない。はる子とさだ子は大の親友だった。
「さだ子を知らないわけ、ないでしょ!」。
いらだたしくなった彼女は声を荒らげた。
저만치 하루꼬가 목을 축 늘어뜨린 채 흐느적흐느적 걸어오고 있다.
“하루꼬! 왜 이렇게 늦었어?”
“응, 영감 아침상이 늦어서. 배가 안 고프다고 거르겠다잖아
그래 기어이 한 숟갈 먹이느라 늦었지“
하루꼬의 영감은 2년 전 이맘 때 세상을 떴다.
남편이 죽은 뒤에도 하루꼬는 하루도 거르지 않고 남편상을 봤다.
그랬어도 살아 있는 남편 밥상을 챙겼노라고 한 적은 한 번도 없었다.
아무래도 하루꼬가 이상하다.
“하루꼬, 사다꼬네 가자”
“사다꼬?”
“그래, 사다꼬. 우리 동창 사다꼬”
그녀들은 읍내에 하나밖에 없던 보통학교 동창이다.
어려서 만나 일본 이름으로 부르기 시작한 탓에 아직도 일본이름이 더 친숙하다.
“나 그런 사람 몰라”
사다꼬를 모르다니, 그럴 리가 없다.하루꼬와 사다꼬는 단짝이었다.
“모르긴 왜 몰라! 사다꼬를”
울컥 속이 상해서 그녀는 버럭 소리를 질렀다.
#インタビュー:文芸評論家 チョン・ソヨンさん
さだ子、はる子、えい子という登場人物の名前からも分かるように、3人のおばあさんは日本による植民地時代から始まる波乱に満ちた韓国の近代史を乗り越え、生きてきた人たちです。一般的に韓国の近代史を題材とする作品の中心人物は彼女たちの夫、つまり男性でした。一方、小説「春の日の午後、三人の未亡人」はこれまであまり注目されなかった女性たちの人生に焦点を当てています。つまり兄弟の話ではなく、これまで知られていなかった姉妹の物語なのです。
セメントで覆われた連合住宅の駐車場にまばゆい春の日差しがいっぱいに降り注ぐ。
これから何年ぐらい生きていられるのだろうか。
この世からいつ消えてもおかしくない年だが、
彼女は生きている限り、思い切り楽しみながら生きていくつもりだ。
干からびた肌の老婆だが
言い寄ってくる代書人事務所の金(キム)じいさんもいる。
金(キム)じいさんの腕枕をしたまま死ぬのもそう悪くはない。
彼女は春の日差しの中へ元気よく歩いていく。
시멘트로 포장된 빌라 주차장에 거칠 데 없는 봄볕이 가득하다.
앞으로 몇 년을 더 살까?
내일을 장담할 수 없는 나이이긴 하지만
그녀는 살아있는 한 재미있게 살 작정이다.
살비듬 부스스 떨어지는 노파지만
치근대는 대서소 김영감도 있다.
김영감 팔베게를 베고 자다 죽는 것도 나쁘지 않겠다.
그녀는 봄 볕 속으로 네 활개를 치며 걸음을 옮긴다.
作家:チョン・ジア(1965. ~ 、全羅南道求礼郡生まれ)
デビュー:1996年 朝鮮日報新春文芸 短編小説「マメガキの木」当選
受賞:2006年 第7回李孝石文学賞 など
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