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文化

「南道雑歌、フンタリョン」ほか

#国楽の世界へ l 2019-12-11

国楽の世界へ


最高の人気を博した歌い手にも、それぞれラブストーリーがありました。今日は、そんなお話を伝えいたします。ソン・フンロク先生は、1800年代前半、歌の王様と呼ばれました。そんな彼が、大邱(テグ)ガムヨンという地方で歌ったときのことです。みんな彼の歌に感嘆している中、メンリョルという名前の芸者キーセンだけは、イマイチな表情をしていました。その理由を聞いてみたところ、春香(チュンヒャン)が獄中で歌った「お化けの鳴き声、鬼哭声(クィゴクソン)」という曲が、どこか物足りないということです。キーセンに無視されたので、プライドに傷がついたはずです。戻ってきては、必死になって練習をしたそうです。そして、再びメンリョルを訪ねて歌を認められ、二人は一緒に暮らすことになりました。当時は、歌い手が一か所に定着して暮らすのは大変な時代でした。メンリョルは自己主張が強かったので、毎日出かけてばかりいるソン・フンロク先生を理解できず、喧嘩をして家出をしました。ソン・フンロク先生は、歌い手らしく、鳴き声を歌にして歌ったそうです。その歌がどんなに悲しかったのか、家出をしたメンリョルが戻ってきたというお話です。ソン・フンロク先生がメンリョルのことを想い歌った部分が、「南道雑歌、フンタリョン」という曲に今でも伝わっています。今日は、まず、この曲をアン・スクソンさんの歌でお楽しみください。


「南道雑歌、フンタリョン」という曲でした。ソン・フンロク先生にとってメンリョルは、歌を理解し助言をしてくれる大事な人だったのです。今度は、日本植民地時代に最高の人気を博した歌い手、イム・バンウル先生のお話です。「スッテモリ」という曲ひとつで、一躍スターになりました。ところが、サン・ホジュという名前のキーセンと恋に落ちてましまい、数年が経った頃には以前のような声が出なくなりました。このままではいけないと思い、何も言わず家を出て、土窟に隠れて暮らし歌に邁進しました。残されたサン・ホジュは、何とか先生の居場所を探して土窟まで訪ねましたが、会ってくれなかったそうです。しばらくして、サン・ホジュが病気に死にそうだとのお話を聞いて、先生は大急ぎでサン・ホジュのところに行きました。ところが、サン・ホジュは既に亡くなってしまっていたのです。先生は、亡くなった彼女を抱いて悲しく歌を歌いました。その歌が、短歌「思い出、チュオク」という曲です。この曲を、プリの歌と演奏でお楽しみください。


「思い出、チュオク」という曲でした。今度は、作家キム・ユジョンさんと、歌い手パク・ロクジュ先生のお話です。幼い頃から体が弱かったキム・ユジョンは、早くから両親が亡くなっていたせいか、口数が少なく気が弱かったそうです。そんな彼が、ヨンヒ専門大学に在学していた二十歳の頃、パク・ロクジュ先生に惚れ込んでしまったのです。手紙を送ったそうですが、先生にとっては、いたずらのように思えたようです。その後も続けて手紙が来るので、直接会って冷酷に断ったそうです。その後も、キム・ユジョンはストーカーのように付きまとって、血書まで書いたとのことです。今日の最後は、パク・ロクジュ先生の「フンボの歌」の中から、「草花のジャンタリョンからツバメを追い払う場面まで、화초장타령부터 제비 후리러 나가는 대목까지」という曲をお楽しみください。結局、キム・ユジョンは、学校を辞めて故郷に戻り、小説を書きはじめました。パク・ロクジュ先生が断っていなかったら、彼は作家にならなかったかもしれません。どちらの方が幸せだったかは分からないものです。

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