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文化

映画「声もなく」

#成川彩の優雅なソウル生活 l 2021-10-01

玄海灘に立つ虹


今日ご紹介する映画は、ホン・ウィジョン監督の「声もなく(소리도 없이)」です。韓国では昨年公開され、とても評価の高かった作品なんですが、日本でも来年1月公開予定だそうです。誘拐事件の映画というのは予告編やポスターで知っていたんですが、見てみると、ちょっと違うんですね。まず冒頭でタイトルが上がる場面ものどかな田舎の風景で、意外な感じがしたんですが、最後まで「え?」「あれ?」って声が出るくらい、意外性の連続でした。予想と違うことばかりなんですが、個人的には予想通り展開する映画があんまり好きでないので、とってもおもしろかったです。


タイトルが「声もなく」ですが、ユ・アイン演じる主人公テインは言葉を聞き取ることはできるけどもしゃべれないんですね。なぜかというのは説明されません。テインには仕事のパートナーがいて、ユ・ジェミョン演じるチャンボク。テインとチャンボクは主に二つの仕事を一緒にやっていて、表の仕事は卵売り。よく韓国では卵売りのトラックが「계란이 왔어요(卵が来ました)」って放送しながら住宅街を回っているのを見ますが、それです。そして裏の仕事が、遺体の処理です。これは犯罪組織の殺人を助けるような仕事で、客観的には犯罪なんですが、なぜか2人は卵売りと同じテンションで遺体処理の仕事にも淡々と取り組みます。チャンボクは言葉遣いも丁寧で、敬虔なクリスチャン。だけども犯罪に手を染めていることに罪悪感を感じているようでもないという、ちぐはぐな感じです。


誘拐事件の映画と言いましたが、凶悪な誘拐犯とかわいそうな被害者という構図とはかけ離れています。テインとチャンボクは意図せず巻き込まれるように誘拐犯になってしまいます。犯罪組織から「人を預かってほしい」と依頼され、チャンボクは「自分たちは遺体は預かっても生きた人は預からない」と断りますが、断り切れる相手でもなく、押し付けられるように少女を預かることになります。さらにチャンボクはテインに少女を押し付けます。テインはとても貧しく、幼い妹と2人で暮らしているんですが、そこに誘拐された少女チョヒが加わって3人の生活が始まります。チョヒはしっかり者で、脱ぎっぱなしの服が散らかっていたのをきれいに畳んだり、無秩序だったテインと妹の生活はチョヒのおかげでちょっとまともになっていきます。


しゃべることもできず、幼い妹もいながら貧しいテインの状況を知ると、卵売りであれ、遺体処理であれ、テインに何か選択肢はあるのか、という気になってきます。それが犯罪行為であっても、おしゃべりなチャンボクがとってくる仕事をこなすしか、テインが生きる術はないように思えます。一方でチョヒもただのかわいそうな被害者ではないんですね。テインよりもよっぽど生存能力が高く、その時々素早く自分の状況を判断して行動に出る。映画がはっきり加害者と被害者という構図にならないのは、そういう部分なんですね。

テインはぶっきらぼうで、チョヒは最初テインを警戒していましたが、妹がテインを怖がらず自由奔放にふるまうのを見て、だんだん警戒心がとけてきます。実はチョヒは家族の中で疎外感を感じていたようです。両親にとっては弟が大事で、自分のために身代金を払ってくれるのか、心配します。貧しくても兄弟の絆が感じられるテインと妹と対照的に見えてきます。


観客としてはテインがいかに望まずして誘拐犯となったのか、チョヒとどのように過ごしたのかを知っているけども、もし捕まったら、しゃべれないテインは何も弁解できないと思います。普段報じられている事件も、真相は分からないなという気にもなります。なんとなく是枝裕和監督の「万引き家族」にも重なるように感じました。

社会の矛盾を指摘しながら、鋭く告発するような映画でもなく、テインとチョヒの心が通う温かみも感じられる映画でした。ホン・ウィジョン監督は私と同じ1982年生まれの女性監督で、「声もなく」が長編デビュー作です。家族の中で疎外感を感じているチョヒの描写などは女性監督だろうなあという感じがしましたが、やっぱりそうでした。青龍映画賞新人監督賞、百想芸術大賞監督賞を受賞して注目を集め、今後の活躍が期待される監督の一人です。日本では来年公開まで少し時間がありますが、ぜひご覧いただければと思います。

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