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文化

自伝「境界線を超える旅」

#成川彩の優雅なソウル生活 l 2022-03-24

玄海灘に立つ虹


本日ご紹介する本は、池明観さんの自伝「境界線を超える旅」です。韓国タイトルは「경계를 넘는 여행자」なので直訳は「境界を超える旅行者」ですが、日本では「境界線を超える旅」というタイトルで出ているようです。池明観さんは今年の元旦に97歳で亡くなったのですが、雑誌「世界」の連載「韓国からの通信」で日本でもよく知られています。軍事政権下、韓国の民主化運動を世界に伝える役割を果たしたのですが、連載当時は危険だったので「T.K生」と名乗っていました。2003年に初めて池明観さんが筆者だったことを明かして話題になりました。


池明観さんは北朝鮮の出身で、朝鮮戦争が始まる前の1947年に韓国に越境し、軍事政権下の1972年から日本で20年ほど過ごしました。「韓国からの通信」は日本で書いていたんですね。北朝鮮、韓国、日本、そして再び韓国と越境したんですが、97歳という年齢からも分かるように、日本植民地時代、朝鮮戦争、軍事政権を経験していて、自伝を読むだけで激動の韓国近現代史が見えてきます。


貧しかったけども、幼い頃からとても勉強熱心で、韓国に越境してからはソウル大学に入ります。第一志望は哲学科だったのが、第二志望の宗教学科に合格し、宗教と哲学の両方を学ぶんですが、1950年には朝鮮戦争が勃発。北から攻め込んできたので、池明観さんも南へ南へと逃げます。ところが馬山のあたりで韓国軍に捕まって、朝鮮戦争に参戦することになります。朝鮮戦争の経験もかなり詳しく書かれていて、戦争中に人間らしく生きるというのは本当に難しいことだと改めて思いました。

ただ、勉強熱心だったのが役に立ち、米兵の英語通訳者となって、最前線で戦うことはなくなります。もともとクリスチャンで、信仰心で耐え抜いた様子も印象的でした。

戦争中、釜山にソウル大学の避難キャンパスがあったそうで、池明観さんのように戦争に従事している学生もいるのに、やはり有力者の息子は留学したり、避難キャンパスで過ごしたりと特別扱いを受けているのを知り、不平等を実感するんですね。その後池明観さんは民主化運動に参加しますが、こういう社会の矛盾を経験したことが大きかったのだろうなと思います。


時代が時代でなければ、学問に邁進した人だったろうと思います。池明観さんが日本に渡った当初は留学が目的でした。1年でも日本の自由な環境で勉強したいという思いだったそうです。ところが、韓国の民主化運動を東京から支援している人物に出会うなど、メインが学問から民主化運動に変わっていきます。中でも、雑誌「世界」の出版社、岩波書店の安江良介さんの存在が大きかったと書いています。「韓国からの通信」を書くことになったきっかけの人物です。池明観さんは安江さんのことを「筆者を尊重しつつ、実力を正確に評価し、さらに力を引き出してくれる編集者だった」と絶賛しています。

「韓国からの通信」は1973年から88年まで15年間連載が続くんですが、私の両親はちょうど団塊の世代の最後、1949年生まれで、「世界」という雑誌はその世代にはかなり読まれていたようです。私もなんとなく親から聞いてそういう連載があったというのは知っていて、ちょうど2003年に池明観さんが著者だったと分かった時には韓国に関心を持っていた時期だったので、池明観さんの本を探して読んだのを覚えています。


池明観さんは日本で20年にわたって暮らした後、韓国へ帰国しますが、「日本で長い歳月を過ごした経験からか、世界との連帯のない韓国の未来は考えられなくなった」と書いています。日本含め世界の国々と連帯する韓国を望んだということですよね。現状としては日韓関係も長らく険悪な状態が続いていて、嘆かわしく思っていただろうと思います。

私は個人的にも池明観さんを尊敬していましたが、私と同時期に朝日新聞を退社した先輩記者が、コロナ前に池明観さんのインタビューのために韓国に来ていたんですね。何度か韓国に通って本にして出す予定だったのがコロナで来られなくなり、池明観さんが亡くなって、本を出すのは不可能になりました。そういう経緯もあって朝日新聞の池明観さんの訃報記事の評伝をその先輩が書いているのを格別な思いで読みました。この自伝もですが、池明観さんの本は日本でたくさん出ていますので、興味を持たれた方はぜひ読んでほしいなと思います。

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