メニューへ 本文へ
Go Top

文化

旅行記『日本陶磁器旅行 九州の7大朝鮮窯』

#成川彩の優雅なソウル生活 l 2023-04-20

玄海灘に立つ虹


〇本日ご紹介する本は、チョ・ヨンジュンの旅行記『日本陶磁器旅行 九州の7大朝鮮窯(일본 도자기 여행 -규슈의 7대 조선 가마)』です。日本で有名な陶磁器の中で、もともとは朝鮮半島ルーツというのがけっこうあって、その中で特に九州の窯を実際に回って、書かれた本です。1月に日本に一時帰国している間に東京で薩摩焼の展示を見たのをきっかけに、関連の本を探して読んでいて、おもしろかったので今回ご紹介しようと思いました。著者のチョ・ヨンジュンさんは東亜日報出身で、『週刊東亜』という雑誌の編集長もされた方です。陶磁器に関する本を何冊か出していて、やはり記者出身なので現地に赴むいて丁寧に取材して書かれています。


〇そもそも、なぜ日本の陶磁器の一部が朝鮮半島ルーツなのかというと、1592年から1598年、日本で言う文禄・慶長の役、豊臣秀吉の朝鮮出兵とも言いますが、韓国では임진왜란(イムジンウェラン)の時にたくさんの陶工が日本へ連れてこられたんですね。当時、お茶がはやっていて、朝鮮の陶磁器が特に人気だったというのもありました。たぶん武田さんは임진왜란関連の映画やドラマにも出演されたのでよくご存じだと思いますが、韓国では임진왜란、歴史的に重大な出来事ですよね。임진왜란で活躍した李舜臣(イ・スンシン)将軍は歴史的ヒーローとしてソウルのど真ん中に像があるのはご存じの方多いと思います。この임진왜란、豊臣秀吉の朝鮮出兵は「焼き物戦争」とも呼ばれるほど、たくさんの陶工が連れてこられました。


〇私は朝鮮ルーツの日本の陶磁器というのは、薩摩焼の沈壽官くらいしか知らなかったのですが、他にもたくさんあって、代表的なのは佐賀の有田焼、伊万里焼とも言いますが、有田焼もやはり朝鮮出兵の際に日本へ渡ってきた陶工が始祖なんですね。李参平という人で、日本初の白磁、白い陶磁器を作ったことで知られています。この本によると、李参平は連れてこられたのでなく自ら日本へ渡ったという説もあるそうで、朝鮮出兵の際に日本軍側のスパイのような役割を果たしたため朝鮮に残れなかったというんですが、李参平についての真偽はともかく、スパイのような役割を果たした人たちは実際いたんだろうなと思います。


〇私が1月に見た薩摩焼の展示は十五代沈壽官の作品展で、ご本人のギャラリートーク付きでした。薩摩焼についてもこの本に詳しく出てきますが、薩摩藩主島津義弘が陶工をたくさん連れてきた中の一人が、沈壽官の祖先、沈当吉でした。この本によると、島津義弘は朝鮮の文化と言語を守りながら生活しないと朝鮮の陶磁器のような格調高いものが作れないと考え、陶芸村では朝鮮語を使用し、朝鮮の服を着るようにさせたそうです。

鹿児島といえば桜島の噴火で知られますが、火山灰の影響で土が黒いんですね。なので焼き物も黒くなるのですが、さきほど有田焼の李参平が日本初の白磁を作るのに成功したとお話したように、白磁の方が貴重で、薩摩に連れてこられた陶工たちも一生懸命、白磁を作るための土を探し回ったそうです。ついに原料となる土を見つけ、白磁を作るのに成功し、沈当吉は武士と同列の身分となりました。読んでいておもしろいなと思ったのは、朝鮮から連れてきたというのは酷い話で、もちろん慣れない土地でとても苦労したという話も出てきますが、けっこう厚遇されていたという点。奴隷のようにこき使われたのではなく、職人として尊重されていたんだなというのを感じました。それだけ当時陶磁器が重要だったということでもあります。


〇豊臣秀吉の朝鮮出兵自体は「侵略」という負の歴史ではありますが、長い年月をかけて磨かれてきた陶芸の技術は、日本と韓国の文化のつながりを感じさせるものになってきたと思います。今、日本では沈壽官をはじめ日韓の陶芸の歴史にまつわるドキュメンタリー映画を制作中で、日本と韓国で公開を目指しているということで、個人的にもとても楽しみにしています。韓国でも今、リウム美術館というところでやっている展示「朝鮮の白磁」が話題になっていて、陶磁器への関心が両国で高まっているみたいです。この『日本陶磁器旅行』という本は日本語訳はないのですが、韓国語で読めるという方、ぜひ読んでみてほしいなと思います。


おすすめのコンテンツ

Close

当サイトは、より良いサービスを提供するためにクッキー(cookie)やその他の技術を使用しています。当サイトの使用を継続した場合、利用者はこのポリシーに同意したものとみなします。 詳しく見る >