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歴史

孫秉熙

2012-12-27

孫秉熙
孫秉熙(ソン・ビョンヒ)は東学の第3代教主であるとともに、3・1独立運動の33人の代表のうちの一人でもある独立運動家です。

孫秉熙は1861年4月に忠清北道清原に生まれます。青年時代には一時、自分が庶子であるという身分的な制約のために放蕩の歳月を送ったこともありました。
しかし1882年に東学に入門し、東学の第2代教主の崔時亨と出会います。そして入門してから10年目の1894年に、新社会建設を主張し東学革命運動(甲午農民戦争)が起きると全琫準とともに戦い、東学運動の旗手として活躍するようになります。
その後、1897年に崔時亨の後を継ぎ東学の第3代目の教主に就任します。

1901年、彼は世界情勢の変化を直接体験しようと日本に渡ります。そして日本での経験は従来の武力抗争路線から啓蒙運動へと変わっていく契機となります。この頃、国際情勢は日露戦争が勃発します。彼はこの戦争を祖国独立の絶好のチャンスだと見て、富国強国の対策を立てようとします。
1905年、東学は天道教とその名前を変え、第3代教主となった 孫秉熙は翌年、韓国に戻ります。民族のために啓蒙運動を展開しようとし、教育こそ救国の道だと考えた彼は普成学校や同徳女学校をはじめとする数十校の学校を運営して教育事業を拡大する一方で、出版社も作り文化事業を進めていきます。

1919年1月、東京留学生たちが2月8日に独立宣言をするという計画が伝わると国内でも独立宣言方式の運動が計画されます。これはパリで開催される万国平和会議に韓国が独立国であることを知らせるためでした。 孫秉熙はキリスト教界や仏教界にも参加を呼びかけ
学生たちの計画していた独立運動計画をこれに統合し、計画の中心にたったのでした。彼らは独立運動の大衆化、一本化、非暴力化の三大原則に合意し、これに基づいた独立宣言書を作成します。そして崔南善の書いた独立宣言書は普成社で印刷され全国各地に配布されることになり、孫秉熙を筆頭に天道教15人、キリスト教16人、仏教2人の民族代表が署名し3月1日の宣言のためのすべての準備を整えました。
そして3月1日、33人の民族代表を中心に、歴史的な独立宣言式が行われました。以後、3.1独立運動は国内全域に拡散していきます。そしてそれが契機となり、国内外に8個の臨時政府が出現し 、上海臨時政府への統合という結実を生みます。

獄苦などのせいで1922年5月、62歳でその生涯を閉じるまで孫秉熙は常に祖国の前途を考え、革命家として、思想家としてそして民族の指導者として生きたのです。

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