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論点

大宇グループ創業者、金宇中氏死去

2019-12-14

ニュース

ⓒYONHAP News

韓国の元財閥、大宇グループの創業者で元会長の金宇中(キム・ウジュン)氏が9日、持病のため死去しました。82歳でした。

金宇中氏は1936年に韓国南部の大邱で生まれ、延世大学経済学科卒業後、繊維会社でのサラリーマンの生活を経て、30歳で衣料品を輸出する「大宇実業」を創業、1981年に45歳で大宇グループの会長に就任しました。

金宇中氏は建設、 造船、自動車、金融などに次々と事業を多角化し、海外市場の開拓にも力を入れ、大宇グループは1970年代に韓国の5大財閥の仲間入りを果たし、1990年代には資産規模で現代グループに次ぐ韓国2位の財閥に成長しました。

金宇中氏は「世界経営」を目標として掲げ、早くから果敢に海外市場へ進出、1969年には韓国の企業としては初めてオーストラリアのシドニーに海外支社を設立し、1975年には韓国では初めて総合商社の時代を開きました。

最盛期は世界で30万人を超える従業員を抱えていました。

金宇中氏は、サラリーマンからスタートし、衣料品を輸出する従業員5人の「大宇実業」を韓国2位の財閥に成長させた立志伝中の実業家でもあります。

「世界は広くやるべきことは多い」という金宇中氏の自叙伝はベストセラーにもなりました。

1990年代、従業員数は国内10万人、海外25万人、フォーチュン誌の売上高ランキング18位にランクされるなど、大宇グループは絶頂期を迎えていました。

1998年の大宇グループの輸出額は186億ドルで、当時の韓国の総輸出額1323億ドルの14%を占めるほどでした。

そんな大宇グループは1997年に韓国を襲った通貨危機のあと、経営が悪化していきました。

通貨危機で金利が急騰し、ウォンの価値は暴落しました。

1998年2月に発足した金大中政権は、国際通貨基金(IMF)との約束に基づいて構造改革を進め、その過程で不良債権を抱えていた銀行の整理も進みました。

借入金で事業拡大を続けていた大宇グループは資金繰りが急速に悪化して危機に陥り、1999年夏に結局は経営破綻し、グループの解体に追い込まれました。多くの従業員が職を失い、関係会社の連鎖倒産が続きました。

グループ解体の過程で粉飾会計が明らかになり、金宇中氏は2006年に懲役8年6か月の実刑判決が言い渡されました。

2008年に特別赦免になりましたが、追徴金17兆9253億ウォンはそのまま残っています。

金宇中氏はその後、主にベトナムに滞在し、グローバル青年実業家養成プログラムなどに携わっていました。

急成長と急転落という波乱万丈の生涯を駆け抜けた金宇中氏は、昨年から健康が悪化し、最近1年余りはソウル郊外の亜州大学病院で治療を受けていました。

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