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論点

5•18民主化運動から40年

2020-05-23

ニュース

ⓒYONHAP News

5•18民主化運動から40周年を迎えた18日、光州民主広場で記念式典が開かれ、文在寅大統領をはじめとする政府関係者、国会議長、与野党代表、遺族ら400人余りが出席しました。

光州民主広場は、事件当時、民主化運動の中心地となった全羅南道庁があった場所です。

5月18日は1997年に5•18民主化運動の政府記念日に指定され、これまでは犠牲者が葬られた光州市内の5•18民主墓地で記念式典が開かれましたが、今年初めて光州民主広場で記念式典が開かれました。

40周年ということで記念式典のほかにさまざまな関連行事が予定されていましたが、新型コロナウイルスの影響で記念式典は規模が縮小され、関連行事も縮小や取り止めとなりました。

5•18民主化運動、いわゆる光州事件は、1980年5月18日に南部の光州市で起きた民主化を求める市民らによる蜂起を指します。

前の年の12月に、当時の全斗煥(チョン・ドゥファン)保安司令官が率いる新軍部がクーデターを起こし、厳戒令を布告すると、光州ではこれに抗議するデモが続きました。

当初は民主化を求める平和的なデモでしたが、市民軍と戒厳軍が衝突する事態に発展、10日間にわたる衝突で多くの死傷者が出ました。

市民軍は一時光州市内を掌握しましたが、5月27日に戒厳軍が市民軍の根拠地だった全羅南道庁を攻撃して市民軍を制圧、10日間にわたる衝突は幕を下ろしました。

全斗煥政権では「光州事態」という名称で呼ばれ、暴動と位置付けられましたが、盧泰愚(ノ・テウ)政権だった1988年に民主化運動として再定義し、光州民主化運動と呼ぶことが決まりました。

金泳三(キム・ヨンサム)政権だった1995年には特別法が制定され、この特別法に基づいて新軍部出身の全斗煥、盧泰愚、2人の元大統領が「内乱及び内乱目的殺人罪」で起訴され、有罪判決が言い渡されました。

光州民主化運動は、民主化を求める動きが光州に限られたものではなかったという理由から、現在は「5.18民主化運動」が正式の呼び方となっています。

5.18民主化運動は韓国の民主化の歴史で大きな転換点となる事件であり、同時に最も悲惨な事件として記録されています。

事件当時、民主化を求めるデモ隊は戒厳軍に制圧されましたが、その精神は今に受け継がれ、韓国の民主主義の礎になっています。

5.18民主化運動については、群衆への発砲命令者や事件の実際の犠牲者数、当時消息を絶った行方不明者の存在など、解明が待たれる問題も多く残っています。

政府と国家、学界や市民団体などによる真相解明の動きは続いていますが、この事件に北韓が関与したとする説も依然として取りざたされているなど、解明されていない部分も多いのが実態です。

最近、真相解明に向けて「5.18民主化運動真相糾明調査委員会」が発足しました。

文在寅大統領は40周年式典での演説で、「国家による暴力の真相は必ず解明されなければならない」と述べました。

文在寅大統領は就任後3年連続で記念式典に出席しています。

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