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2024-04-17
盧泰愚(ノ・テウ)元大統領が26日、ソウル市内の病院で亡くなりました。
89歳でした。
盧泰愚氏は、1955年に陸軍士官学校を卒業、第9師団長などの軍の要職を歴任しました。
1979年12月には、当時の全斗煥(チョン・ドゥファン) 国軍保安司令官が中心となったクーデターに協力、1980年に全斗煥氏が大統領に就任したあとは、ナンバー2として、国軍保安司令官、体育相、内務相、ソウル五輪組織委員長など、要職を務め、1987年の大統領選で当選し、全斗煥氏のあとを継いで大統領に就任しました。
1987年の大統領選で、盧泰愚氏は全斗煥元大統領によって与党の大統領候補に指名されましたが、民主化を求めるデモが全国に拡大すると、大統領選を直接選挙で実施することを受け入れました。
16年ぶりに直接選挙となった大統領選は、野党系が候補を一本化できず、金泳三(キム・ヨンサム)氏、金大中(キム・デジュン)氏、金鍾泌(キム・ジョンピル)氏といった大物政治家が立候補し、得票が割れ、盧泰愚氏が36.6%の得票率で当選しました。
盧泰愚氏は、旧共産圏の国々との外交を積極的に展開し、旧ソ連や中国と外交関係を樹立しました。
北韓との間では敵対関係を解消することに努め、1991年には南北が国連に同時に加盟し、相互不可侵や平和共存などを盛り込んだ南北基本合意書を締結したりもしました。
一方、盧泰愚氏は大統領退任後、不正蓄財や、全斗煥氏とともに軍事クーデターに加わった罪などに問われ、最高裁にあたる大法院で内乱罪などで懲役17年の判決を下されました。その後、金泳三元大統領による特別赦免で1997年に釈放されました。
韓国政府は、盧泰愚元大統領の国家葬を行うことを閣議決定しました。
韓国では大統領経験者が死亡した場合、通常は国家葬を行います。しかし、盧泰愚元大統領は特別赦免になったものの、内乱罪などで実刑判決を受けたこと、軍が民主化を求める市民に発砲して犠牲者を出した1980年の光州民主化運動へ関与したことなどを理由に、政府の決定に反対する意見もあります。
2024-04-17
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