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論点

全斗煥元大統領が死去

2021-11-27

ニュース

ⓒYONHAP News

全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領が23日、ソウル市内の自宅で亡くなりました。90歳でした。

全斗煥氏は多発性骨髄腫の持病があり、最近は健康状態が悪化していたと伝えられていました。

全斗煥氏は1931年3月6日に南部の慶尚南道陜川に生まれ、韓国戦争中に陸軍士官学校に入学、朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領がクーデターを起こすと、陸軍士官学校の生徒を率いて支持を表明するなどしました。

1979年10月26日に朴正煕大統領暗殺事件が起きると、国軍保安司令官として事件の捜査を指揮し、同じ年12月12日には戒厳司令官だった鄭昇和(チョン・スンファ)大将を逮捕、クーデタで実権を掌握しました。

翌1980年5月には非常戒厳令を全国に拡大する措置を実施、当時野党の指導者だった金大中(キム・デジュン)元大統領らを逮捕し、全国的に拡大した民主化運動を鎮圧しました。また、光州での民主化を求めるデモを鎮圧するために陸軍の特殊部隊を送り、多数の市民が犠牲になりました。

その後、9月に統一主体国民会議という臨時の機構による間接選挙で当選し、第11代大統領に就任しました。

全斗煥氏は1980年から1988年まで2期8年にわたって大統領を務めました。

退任後、クーデタへの関与や民主化運動弾圧、不正蓄財などで1996年に死刑宣告を受けましたが、その後、無期懲役に減刑され、収監から8か月後の1997年12月に特別赦免で釈放され、自宅で生活していました。

大統領に在任した8年間、経済はそれなりに繫栄し、最低賃金制度や国民健康保険制度の導入といった業績を残しましたが、一方で、言論弾圧や労働運動を弾圧しました。各種の収賄事件に加えて、光州での民主化要求デモを武力で鎮圧、多数の犠牲者を出したことについては最後まで謝罪せず、「最悪の独裁者」という汚名を返上することはできませんでした。

こうした背景もあって、全斗煥氏が亡くなったことについて世論は冷ややかで、葬儀は国葬ではなく家族葬で営まれることになり、大統領府青瓦台や与野党関係者の弔問や弔花はありませんでした。

全斗煥氏は回顧録で、「人生が終われば、北の地を見渡せる前方の高地に白骨として残り、統一の日を迎えたい」と書き残していて、遺体は火葬に付される見通しです。

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