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論点

日本政府、佐渡島の金山の世界遺産推薦を表明

2022-01-29

ニュース

ⓒYONHAP News日本政府は ユネスコ・国連教育科学文化機関に「佐渡島(さど)の金山」の世界遺産登録を推薦する方針を表明しました。

「佐渡島の金山」は日本の文化庁文化審議会から今年度の世界文化遺産の国内推薦候補に選ばれていました。

ユネスコへの推薦期限は2月1日です。

「佐渡島の金山」は、佐渡金銀山を代表する「西三川砂金山」「相川鶴子金銀山」の2つの鉱山で構成されます。

江戸時代から伝統的な手工業によって金の生産が行われた日本を代表する金山で、最盛期の江戸時代初期には、年間で金400kg、銀が40トン以上採掘され、江戸幕府の重要な財源でした。

太平洋戦争当時には、銅、鉄鉱石、亜鉛など、戦争に必要な物資を採掘するための鉱山として使われました。

当時、韓半島から多くの朝鮮人労働者も募集に応じたり、徴用されて鉱山労働に従事したとされています。

佐渡島の金山は現在、史跡に指定され、総延長400キロに及ぶ坑道のうち300メートル程度で、当時の採掘の様子を再現しています。

日本の文化庁文化審議会は「佐渡島の金山」を世界文化遺産の国内推薦候補に選定する過程で、その対象期間を江戸時代に限定しました。

江戸時代に、伝統的手工業によって金の生産が行われ、純度の高い金を生産するための生産技術と専門化された生産体制が整備され、世界でも類のない大規模な金生産システムがあったという理由からです。

一方で、太平洋戦争当時、多くの朝鮮人労働者が過酷な環境で労働を強いられた場所であるということも否定できない事実です。

福岡大学人文学部の広瀬貞三教授によりますと、1940年2月から1942年3月までに募集に応じて動員された朝鮮人労働者は1005人だったという記録があるということです。

1942年4月から1944年3月までの2年間の記録は残っていませんが、朝鮮人労働者の平均労働期間や新規労働者の流入などから推定すると、この間に動員された朝鮮人労働者は2300人余りだったと広瀬教授は推定しています。

1943年5月の時点で、佐渡島の金山にいた労働者は日本人709人、朝鮮人584人だったという記録がありますが、朝鮮人労働者は坑道の中でも最も危険な場所での仕事が多かったといわれます。

日本の外務省は推薦しても登録の実現は難しいとして、ユネスコへの推薦を見送る方針で調整していましたが、岸田首相は地元関係者や自民党保守系議員から推薦を求める声が強まったことを受けて方針を一転しました。

2015年には『明治日本の産業革命遺産』として長崎県の端島、通称・軍艦島が世界文化遺産に登録されましたが、ユネスコはその後、韓国政府の主張を入れて、軍艦島で働いた朝鮮人労働者に関する説明が不十分だとする決議を採択し、軍艦島の全体の歴史を理解できるよう説明を加えるなどの措置を取ることを勧告しました。

日本政府は勧告を受け入れましたが、今のところ具体的に対応していません。

韓国側は、佐渡島の鉱山で強制労働があったという歴史的事実に目を背けたまま世界遺産に登録するのは適切でないという立場です。

ユネスコは昨年、世界記憶遺産の登録で関係国の異議申し立てを認め、結論が出るまで登録しない制度を導入しました。

この制度は、「南京大虐殺の文書」の登録に反発した日本政府が導入を主導しましたが、今回は日本が逆の立場になりました。

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