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© YONHAP News

「任実チーズの父」と呼ばれる神父チ・ジョンファンさんが他界し、任実チーズに注目が集まっています。

全羅北道任実郡はチーズの生産が盛んで、韓国では「チーズと言えば任実」というほどチーズの代名詞のようになっています。毎年20万人以上の観光客が訪れ、近隣農家が生産するチーズの売上げは年180億ウォンに達します。しかしここも、1960年代までは特別な産業のない町でした。

チさんは1931年にベルギーのブリュッセルで生まれました。58年にカトリックの司祭になり、韓国戦争停戦からまもない韓国に赴任。全州市、扶安郡を経て64年に任実郡に移り住みました。ここで、貧困にあえぐ農家の人々に接したチさんは、畜産業の育成を提案。同地で飼育しやすいと考えた山羊を育てて山羊乳の販売を始めました。しかし、あまり売れず、大部分を廃棄することになりました。そこで、チさんは、当時韓国では珍しかったチーズを山羊乳からつくることを考案。ベルギーの両親から資金を借りて、同地にチーズ工場を建てました。ところが、チさん自身もチーズづくりには素人であるためなかなか販売できるような商品ができず、チさん自らフランスやイタリアに勉強に出かけて、69年にやっとチーズづくりに成功しました。そのころは韓国内に競合する工場もなかったので、すぐにソウルの高級ホテル(朝鮮ホテル)にも納品するようになったということです。また、チさんは、70年代から80年代にかけての民主化運動にも高い関心を示していたということで、80年の光州事件の際は、市民軍に牛乳を差し入れるため自ら光州に赴いたそうです。

チさんは58年に韓国に赴任したのち、亡くなるまで韓国で暮らしました。ずっと全羅道にいたので、全羅道方言をうまく使いこなしていたということです。そして2016年には韓国政府が、チさんの功労に感謝の意を表し、韓国籍を与えました(二重国籍)。韓国における「本貫」は「任実チ(池?)氏」。同本貫はチさんが開祖であり、チさんには子息がいないので、チさんが他界した時点で消滅したことになります。

このようにチさんの尽力により韓国の国産チーズが誕生しました。現在任実では、主に牛乳を原料とするチーズや乳製品を生産しています。また、任実チーズテーマパークでは体験学習プログラムを開催し、多くの観光客を呼び寄せています。首都圏からは公共交通機関で行きにくいのが難点ですが、今後も韓国チーズの代名詞として発展すると期待されています。

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