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© YONHAP News

8日、京畿道安城市にあるハナ院が開院20周年を迎えました。ハナ院、何かと言いますと。

199978日に開院した北韓離脱住民定着支援事務所のことです。1990年代の初めまでは年間10人前後だった脱北者が1994年から40-80人と急激に増加したことを受け、効率的な保護と支援のために作られた施設で、生活館、教育館、宗教室、体力鍛錬室、図書館などがあります。脱北後、関係機関の合同調査が終わった後、脱北者はここで情緒の安定、文化的な離脱間の解消、社会経済的な自立付与を目標として3ヶ月間社会適用教育を受けます。

そのハナ院が20周年を迎えましたが、その式典に担当部署の統一部の長官はもとより次官も出席しませんでした。これに対して統一部の関係者は

当初長官記念式参加する予定だったが、国会日程のために参加できなくなり、次官国会日程のために安城までけなくなった」

と説明しています。また式典の模様はメディアにも公開されず、脱北民とのインタビューも行われませんでした。そこで、 すでにハナ院を卒業して時間が経った脱北者を中心に男女5人にインタビューした記事がありましたので、その中からいくつかをご紹介します。


まずハナ院で良かったことはという質問には

「食事も良く、療サビスも良かった。何より本を思う存分むことができて良かった。運動も思う存分できた」(男 )

「いた時は分からなかったが、社会に出ると、人々と共に過ごしたあの頃が懐かし、楽しい思い出だ」(女 )

北過程で疲れた体と心を何も考えずにゆっくり癒すことできてうれしかった。先に社に出た北者がて、自分のことを話してくれたことが良かった」(男 )

「今考えると、韓国生活の中でハナ院が一番良かった。衣食住の責任をもってくれ、頭が痛いこともなく、休む気分だった。また生活したい」(女 )


 そしてハナ院で嫌だったことは、という質問には

「職業育を一律にせずに、個別の進路指導システムがあるといいだろう。外部活動が少ない。もっと韓経験するのがいい」(男 ) 

「学んだことがあまり役に立たなかった。特に、脱北者を遠ざけて誰も信じるなと教育され、しばらく周囲が信じられなかった」(女 )

育が形式に止まっているようだ。食事が調で飽きた。育生の中に暴な人がいて、3ヵ月間ずっと雰囲気くしても、かばうだけで策がない。大きな事件なくなだめて卒業させれば、その後は自分の仕事ではないと考えているようだった」(男 ) 

「出て良かったことが分かるが、中にいた時は退屈で、一日でも早く社会に出たかった。出てみると、定着は教科書ではなく体でぶつかって習得することが分かった」(女 )


これまでに3万1000人がハナ院を経て韓国に定着しました。歴代政府は脱北民を「先に来た統一」と呼び、ハナ院を「脱北民包容政策」のシンボルとして宣伝してきました。20周年を迎えたハナ院のこれから、そして脱北民のこれからが心配です。

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