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ライフスタイル

大宇グループ 金宇中元会長死去

#マル秘社会面 l 2019-12-11

玄海灘に立つ虹

© YONHAP News

私が大学生だったころ韓国経済は3つの財閥によって動いていました。イ・ビョンチョル会長の三星グループ、チョン・ジュヨン会長の現代グループ、そしてキム・ウジュン会長の大宇グループです。9日夜、金宇中会長が亡くなられました。これで韓国経済を飛躍的に成長させた三大財閥の会長がすべて亡くなったことになります。

金宇中元会長を語るときには「サラリーマン社長」「世界経営」「明暗の人生」などという修飾語がつきます。その人生を振り返ってみましょう

サラリーマン社長1936年 大邱で生まれ、1960年に延世大学を卒業すると親類の経営する繊維会社に就職します。1967年に「大宇実業」を創業するまで、サラリーマンとして社会人としての第1歩を歩んでいます。最初から社長だったイ・ビョンチョル会長やチョン・ジュヨン会長と比べてこう呼ばれました。

世界経営:資本金500万ウォン、従業員5人で始めた「大宇実業」は創業5年で輸出額100万ドルを達成し、韓国企業としては初めて海外支社をオーストラリアのシドニーに作りました。以後、金会長はどんどん世界へと飛び出していきます。

1981年に大宇グループの会長に就任し、1989年に出版した自叙伝「世界は広く、することは多い」は6カ月で100万部を売るベストセラーとなりました。そしてその著書のタイトルのように金会長は1年の3分の2以上を海外で暮らしながら経営を陣頭指揮していきました。特に東ヨーロッパ、ポーランド、ハンガリー、ルーマニアなどには相次いで大宇自動車の現地工場を作っていきました。そのため大宇グループの海外雇用人材は1993年2万2千人が1998年には15万2千人に拡大しました。

明暗の人生:90年代、海外市場に積極的に進出し多国籍企業となっていきます。1998年の大宇の輸出額は186億ドルで当時の韓国の輸出額全体の14%を占めていました。しかしその一方で経営はだんだんと破綻に向かっていきます。

1997年に起きた通貨危機は積極的に拡大経営をしてきた大宇グループに致命的な傷を負わせ、41の系列会社を10社に縮小する改革案を発表したものの危機を乗り越えられず1999年に経営は破綻しグループは解体となりました。

その後、金会長は粉飾会計やサギ融資事件などにより警察に追われる身となり、韓国に戻ることができず2005年まで海外逃亡生活を続けます。帰国後、2006年に懲役8年6カ月の宣告を受けて服役し、2008年特別赦免で釈放されます。しかし追徴金の17兆9000億ウォンは今もそのままです。

ワーカホリック(仕事中毒)金会長は仕事は自分が直接陣頭指揮しないと気が済まない性格でした。そのため世界中を飛び歩くスケージュールをこなす随行秘書はわざわざ体力重視で若い男性の秘書を選んでいました。しかしその過激なスケジュールに耐え切れず秘書のほとんどが1年以上もたなかったといいます。また食事もピビンパブ、ソルロンタンなど早く食べられるものを好んだと言います。

トランプ大統領:金会長はトランプ大統領とも縁があることで知られています。1997年大宇建設は現地法人を通じてトランプ氏とマンハッタンに世界最高層住居ビル、トランプワールドタワーを築きます。現在汝矣島にある高層アパート、トランプタワーも大宇建設とトランプ氏が建てたものです。

金宇中会長の人生を見ていると、財閥グループの会長ではありますが、まるで昭和の時代の日本のお父さんたちの一生を見ているようです。ご冥福を祈ります。

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