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ライフスタイル

サムスングループ イ・ゴンヒ会長死去

#マル秘社会面 l 2020-10-28

玄海灘に立つ虹

ⓒ YONHAP News

日本でも大きく報道されましたが、25日に6年間闘病中だったサムスングループのイ・ゴンヒ会長の死去が報じられました。その後、いまだに連日関連のニュースがメディアで報じられています。

サムスングループは昔から日本とは深い関係にありました。創業者のイ・ビョンチョル会長も、その三男だったイ・ゴンヒ会長も日本に留学経験を持つことで知られています。特にイ・ゴンヒ会長は小学校5年生の時に3年ほど日本に行き、さらに大学は早稲田大学を卒業しています。早稲田大学は父親のイ・ビョンチョル会長も卒業しています。

面白いのはイ・ゴンヒ会長の長男である、サムスン電子のイ・ジェヨン副会長は早稲田ではなく慶応の大学院で修士号をとっていることです。早稲田と慶応の校風の差が、サムスンの親子三代にも表れているような気もします。

イ・ゴンヒ会長はその語録でも有名です。一番有名なのが1993年6月にドイツのフランクフルトで行われた社長団会議での話です。今はしていませんが、当時はサムスングループ傘下のすべての企業のトップが集まる社長団会議が1年に何度か開かれ、その内容がその後のサムスンの経営方針を決めるものでもありました。ですからメディアは毎年、この社長団会議でイ・ゴンヒ会長が何を話すかに大きな関心を持っていました。

そんな社長団会議をこの年はドイツのフランクフルトで行い、イ・ゴンヒ会長はサムスンの第2の創業を宣言します。

「走り抜ける者は走れ。忙しく歩く者は歩け。歩くのが嫌なら遊べ。追い払いはしない。しかし周囲の足を引っ張らず、じっとしていろ。なぜ先に行こうとする者の横で、向きを変えさせようとするのか」

「出勤時間のチェックはやめろ。家でもどこでも考えさえあればいい。わざわざ会社だけでやる必要もない。6ヶ月夜通しで働いて、6ヶ月遊んでもいい。遊んでいる社員という評価は下すな。遊ぶときはちゃんと遊べ」

「結局、自分が変わらなければならない。変わろうとするなら徹底的にやらなければならない。極端にいうと、妻と子ども以外は全て変えないといけない」

以後サムスンの製品は品質、デザイン共に韓国国内だけでなく世界のトップ企業へと躍進していきます。またその後もイ・ゴンヒ会長の発言はたびたびメディアに取り上げられます。

「韓国の政治は4流、官僚と行政組織は3流、企業は2流だ」(1995年、韓国メディア北京特派員との歓談会にて)

「2~300年前は10万から20万人が群衆と王族を食わせていたが、21世紀は卓越した一人の天才が10万から20万人を食わせる時代だ」(2002年6月、人材戦略社長団のワークショップにて)

「中国が追いかけてきて、日本が先に行く状況で韓国経済はサンドイッチだ」(2007年1月、財界の集まりにて)

「傲慢にならず危機意識で再武装しないといけない。失敗を恐れない挑戦と革新、自立と創意が呼吸する“創造経営”を完成させなければならない」(2013年10月財界の集まりにて)

イ・ゴンヒ会長と父親のイ・ビョンチョル会長、その人事の方法にこんな違いがありました。イ・ビョンチョル会長は新入社員の選抜の最終面談は直接本人が会っていましたが、その際に人相学の専門家を同席させたと言います。人相まで参考にしたということでしょう。一方、イ・ゴンヒ会長のスタイルについて日本のインターネットにこんな記事がのっていました。

「業務秘書の選抜方式」について聞いたことがある。  ある日、2人の幹部候補生が別々に東京に呼ばれた。それぞれ李健熙氏から10万円を渡されて「秋葉原で買い物をして私に見せてください」と指示された。  帰ってくると、「なぜ、この商品を買ったのか?」と質問をされる。 どうしてVTRなのか、どうしてこの企業の商品なのか、どうしてこの店なのか、10万円をどう配分したのか、売り場で何を感じたか、店で他の日本人お客は何に関心があったのか、店員はその商品をどう説明したか、いくつの店を回ったのか・・・。  丁寧な言葉づかいで質問が延々と続いた。

イ・ゴンヒ会長の葬儀は今日28日の出棺で幕を閉じ、遺体は龍仁の家族墓地に父の隣に埋葬されることになります。

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