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韓国にも前方後円墳

#マル秘社会面 l 2021-08-25

玄海灘に立つ虹

ⓒ Gwangju National Museum

国立光州博物館で7月19日から10月24日まで、「特別展 咸平(ハムピョン)禮德里(イェドクリ) 新德 (シントㇰ)古墳―秘密の空間、隠された鍵」が開催されています。特別展の紹介にはこんな風に書かれています。

「 咸平禮德里新德古墳は韓国南西部一帯でだけ確認されている三国時代の長鼓墳(チャンゴフン)の一つだ。墓の模様は日本の古墳時代の主要古墳である前方後円墳と似ているとして注目を浴びたが、このような古墳が調査されたことはなく、ミステリーとして残って来た。30年前の1991年3月、盗掘された新徳古墳を発見した国立光州博物館は、墓の内部に対する緊急調査を実施した。その調査過程で長鼓墳の埋葬施設が石室(いしむろ)であることが初めて確認され、内部からは華やかな装身具を含めた大量の遺物がみつかった。その後、盗掘された遺物も取り戻し、3回の追加発掘調査をへて、この古墳に対する資料を集めてきた。古墳の発掘30周年を記念する今回の特別展示では、出土された遺物が初めて一堂に展示され、その間学会で研究されてきた成果も整理されて公開される」

そして京郷新聞には 『30年間、秘密とされ隠されてきた日本式の古墳――今こそ話すことができる』という特集記事も掲載されました。一体何が隠されてきたというのでしょう。

この記事によりますと、この古墳が見つかったのは盗掘が契機となったといいます。1991年3月26日に古墳の円形部の西側に盗掘の痕跡がみつかりました。この時の犯人は2年6か月後につかまりましたが、すでに盗掘された遺物のうち状態の良かった65点は売られてしまった後でした。当時の新聞には盗掘された遺物の中には国宝級も混ざっていたとあります。

そして捜査と同時に博物館による古墳の調査も行われました。しかし当時の国立光州博物館はその発掘調査に関する報告書を出すことはありませんでした。なぜか、新徳古墳が正式に調査された初めての前方後円墳だったからです。日本の仁徳天皇陵と同様の形態です。

日本の植民地時代に一部の日本の学者が韓国にある長鼓墳が日本の前方後円墳に似ていると主張しました。これに対して韓国内からは大きな反発が起きました。

1983年6月、ヨンナム大学のカン・イング教授が「慶尚南道の固城(コソン)と全羅南道の羅州(ナジュ)、 咸平 (ハムピョン)などに長鼓墳が見られる」と発表しました。これに対し、国内の学者たちは反応しませんでしたが、日本では大きな反響を呼びました。

日本の学者の一部は、「日本の天皇の家系のものと神聖視されてきた前方後円墳が朝鮮半島に存在するわけがない」と主張、

一部の学者の中からは「このような形態の古墳が存在するということは、任那日本府説を裏付けるものだ」という主張がだされました。

このような1980年代を過ぎ、 1990年代になり咸平禮德里新德古墳が初めて正式に発掘調査されたのです。しかしその時の報告書も結局、陽の目を見ずに現在に至っていましたが、今回、光州博物館で特別展が開催され、発掘調査から30年たってようやく発掘報告書も発刊されることになりました。

古代史を解くカギとなると共に、両国間の学会の論争の火種ともなりそうで、30年間隠されてきたミステリーがようやく公開されます。それだけ韓日両国の学会が感情的にならずにこの報告書に目を通すことができるようになった、大人になったと言えると良いのですが。

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