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ライフスタイル

明石歩道橋事故遺族と梨泰院雑踏事故遺族の出会い

#ソウル・暮らしのおと l 2023-03-24

金曜ステーション

ⓒ 10.29梨泰院惨事市民対策会議2001年7月、兵庫県明石市の歩道橋で花火大会の会場に向かう人々の群集なだれが起き、11人が死亡、247人が負傷するという痛ましい事故が起きました。この「明石花火大会歩道橋事故」の遺族の方々が、韓国で同じように大きな事故・惨事にあった犠牲者家族の方々と会うために、3月17~18日にソウルを訪問しました。


去年10月、韓国の梨泰院で雑踏事故が起こったとき、21年前に似たような状況で起きたこの明石歩道橋事故を韓国のメディアでも多く取り上げました。また、明石の遺族の方々も日本のメディアに「同じような事故で心が痛む」と、いち早く哀悼を示していました。

梨泰院事故から4カ月半を経た今、明石歩道橋犠牲者の会会長の下村誠治さん、前会長の三木清さんのお二人が、梨泰院の事故現場を訪ねました。また、梨泰院事故の遺族、そして2014年のセウォル号惨事の遺族の方々とも会い、意見交換の場をもちました。私はその場に通訳として同行させていただき、そこでの交流がとても心に残ったので、ぜひご紹介したいと思いました。


まず梨泰院を訪れたお二人は、事故現場を直接見て「思っていたよりもずっと狭くて驚いた。これではいつ事故が起きてもおかしくない。対策さえしていれば防げたのではないか」と感想を語っていました。同日午後の日韓の遺族懇談会の場で、下村さんは事故直後に発足した明石市の調査委員会について、また、遺族が15年にわたって警察署長と副署長を相手に闘った裁判についてなど、これまでの取り組みを詳しく語りました。事故がなぜ起きたのかの原因を究明すること、そして誰に責任があるかを明らかにすることが再発防止のために必要不可欠だという話は、説得力がありました。


また、三木さんは、当時8歳だった娘を亡くした状況について、涙を流しながら話しました。何年たっても大切な家族を失った悲しみは消えない、そのことは韓国の遺族の方々に深く共鳴したようです。話をすればするほど、梨泰院と明石の事故は共通点があまりにも多く、そのためたくさんの意見が交わされました。いまも悲しみのどん底にいて、真相究明も進まず、犠牲者家族に対する誹謗中傷まで受けて苦しんでいる梨泰院事故の遺族の方々は、まったく同じような経験を経てきた下村さん、三木さんのことば一つひとつに、大きくうなずいていました。


明石の事故後、粘り強い真相究明と責任追及の過程で様々なことが明らかになり、そこから日本では再発防止のための制度やマニュアルができていったそうです。もう二度と誰にもこのような思いをさせたくない、という思いで取り組んだ具体的な調査や裁判の例は、韓国の遺族の方々にも 大きな励ましになったのではないかと思います。


遺族に国境はない、と繰り返し語った下村さんと三木さんの言葉がとても印象的でした。遺族同士だからこそ分かち合える気持ちがあるという言葉が、互いに何度も行き交いました。まさに韓国と日本という国境を越えて助け合えるこのような交流は、悲しい事件がベースになってはいるものの、本当に力強く、意味深いものだと感じられました。

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