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ピープル

国立唱劇団の芸術監督、キム・ソンニョ

2016-12-27

12月8日、ソウルの国立劇場でスタートしたマダンノリ「ノルボがやって来る」。マダンノリ「ノルボがやって来る」は、貧しいけれど正直者のフンボと、弟とは違って貪欲で自己中心的な兄、ノルボを通じて、善は福を授かり、悪は天罰を受けるという内容の古典小説「フンボ伝」をモチーフにした公演です。

韓国の伝統芸能をベースにした創作公演、マダンノリがお目見えしたのは1981年、今から35年前のことでした。マダンノリを初めて企画、披露したのは劇団「ミチュ」でした。劇団「ミチュ」は30年間、毎年新作のマダンノリを発表していましたが、2010年の公演を最後にマダンノリから手を引くことにします。30年間、多くの人に愛されてきたマダンノリの伝統がそのまま終わってしまうのかと思っていたのですが、2014年、国立唱劇団がマダンノリを復活させます。マダンノリ「ノルボがやって来る」は国立唱劇団が披露する3番目の作品で、1ヶ月足らずの間に延べ観客数8万6千人を記録するなど、年末年始を代表する公演として人気を得ています。こうしたマダンノリの人気を感慨深く見守っている人がいます。国立唱劇団の芸術監督、キム・ソンニョさんです。

2012年、国立唱劇場の芸術監督に就任したキム・ソンニョさんは劇団「ミチュ」に所属していた頃からマダンノリの中心にいました。1950年生まれ、今年66歳になったキム・ソンニョさんは、有名な唱劇の俳優だった母親と、劇作家兼演出家だった父親の元に生まれました。子どもの頃のキム・ソンニョさんにとって、劇場は家であり、遊び場でした。5歳の時から舞台にのぼっていたキム・ソンニョさんは1976年、後に劇団「ミチュ」を生み出した劇団「ミンイェ」に俳優として入団します。キム・ソンニョさんはこの劇団で夫と出会い、団員といっしょにマダンノリを作り出したのです。



マダンノリの「マダン」は、庭を意味します。韓国の伝統家屋でマダン、庭は家の中央にあって、家族がコミュニケーションする空間です。マダンノリはこの庭のように公演場の中央に舞台を配置し、その舞台を囲むように客席を設けています。出演者と観客がコミュニケーションするためのアイデアでした。伝統公演は退屈だという偏見を打ち砕き、愉快な伝統芸能を披露したマダンノリは熱い反応を得ました。その後30年間、マダンノリは延べ観客数250万人を記録し、韓国を代表する公演に成長していきました。30年間、マダンノリを通じて俳優として、演出家としてさまざまな経験を積み、2012年、国立唱劇団の芸術監督に就任したキム・ソンニョさんは国立唱劇団の様々な可能性に取り組んでいます。韓国の古典小説をベースに、スリラーを加味した唱劇を演出したり、西洋の神話や喜劇に韓国のパンソリを取り入れた新しい唱劇を作るなど、大胆な変化を試みているのです。キム・ソンニョさんが率いる唱劇団の変化は観客にも受けいれられ、唱劇団の公演の平均客席占有率は75パーセントを越えています。また、海外への進出も実現し、今年の4月、フランスパリで開かれた公演も好評でした。こうした反応に団員の志気も高まっています。

キム・ソンニョさんといえば、マダンノリを思い浮かべる人が多いのですが、彼女の代表作はマダンノリだけではありません。10年前から公演しているミュージカル・モノドラマ「壁の中の妖精」もキム・ソンニョさんの代表作の一つです。「壁の中の妖精」は、韓国戦争後、父親が国の体制に反する思想犯という濡衣を着せられ、壁の中に隠れて生きることになったある家族の話です。「壁の中の妖精」で、キム・ソンニョさんは1人32役、32の人物を演じています。

30代半ばにマダンノリの主役を演じ、50代に代表作「壁の中の妖精」に出会い、60代に国立唱劇団の芸術監督に就任したキム・ソンニョさん。子どもの頃から才能を見せていたキム・ソンニョさんですが、30代を過ぎてからようやく一人前の俳優として認められたのです。他の人に比べてゆっくりと、しかし確実に1歩ずつ前進してきたキム・ソンニョさん。70代になっても存在感のある俳優でいたいと願う彼女のこれからの活躍が楽しみです。

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