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ピープル

美術資料博物館の館長、キム・ダルジン

2017-01-10

『アメリカでの仕事を終えて、息子夫婦といっしょにイタリア、ローマ、パリに立ち寄りました。再び目にしたイタリア・ルネサンス、文芸復興期の芸術の極。ミケランジェロとダ・ヴィンチ、二人はまさに天が授けた画家ということを再び確認しました。二人の天才と、たゆみない努力の足跡に私は恥ずかしくなり、天に許しを乞うたほどでした』

韓国を代表する画家の一人、キム・ギチャンが1979年、旅行先のヨーロッパから友人に送ったハガキの一部です。このハガキの原本は「キム・ダルジン美術資料博物館」に展示されています。「キム・ダルジン美術資料博物館」では、今、「画家が歩んできた道、画家とアーカイブ展」と題して韓国の近現代を代表する画家の手紙や写真、エッセイ、履歴書、美術展のパンフレットなどさまざまな資料を展示しています。



「画家が歩んできた道、画家とアーカイブ展」を企画し、長い時間集めてきた貴重な資料を展示しているのは美術資料博物館の館長、キム・ダルジンさんです。1955年生まれ、今年62歳になるキム・ダルジンさんは中学生の頃からこれまで、46年あまりにわたって韓国の近現代美術関連の資料を集め、韓国最高の美術資料専門家と評価されています。

キム・ダルジンさんが美術関連の資料を集めはじめたのは中学生の頃からでした。中学生の頃のキム・ダルジンさんは、ガムの包み紙やタバコの箱、切手、映画のポスターなど気に入ったものは何でも集めるアマチュア・コレクターでした。そんなある日、女性雑誌に載った一枚の絵がキム・ダルジンさんの目に止まります。雑誌で偶然目にした美術作品に魅了されたキム・ダルジンさんは、その日から世界の名画を求めて古本屋をあさりはじめました。雑誌や本に載った絵を集めながら、画家について、また美術の歴史について知りたいと思うようになりました。独学で勉強し、西洋美術史の流れを掴んだキム・ダルジンさんは集めた資料を見易くするため、時代別に整理し、10冊のスクラップブックを作りました。

中学生の頃から西洋美術の世界に浸っていたキム・ダルジンさん。高校に進学してからは韓国の近代美術に関心を持つようになります。韓国の近代美術に関心を持つようになったきっかけは、景福宮(キョンボックン)の境内にあった国立現代美術館で開かれた「韓国近代美術60年」という展示会でした。1900年から1960年、つまり、日本による植民地支配と韓国戦争を経験し、おろそかに扱われていた時期の美術作品を展示したイベントでした。コレクションの範囲が広がると、今度は美術関連の仕事に就きたいと思ったキム・ダルジンさん。大学と大学院で文化芸術学を専攻していた彼は美術展示会に関する情報を盛り込んだ雑誌社に入ります。この雑誌は2年後に廃刊となり、キム・ダルジンさんも会社を出ることになりますが、その2年間は美術雑誌の社員として画廊を訪れ、画家に出会えた貴重な時間となりました。



雑誌社を出たキム・ダルジンさんは国立現代美術館で日雇いで働くことになりました。キム・ダルジンさんの仕事は美術資料の収集でした。15年間、国立現代美術館で働きながら、彼は資料の収集と整理、分析に邁進しました。1枚の紙切れも、その記録が集まれば歴史になると信じるキム・ダルジンさんはどんな仕事もおろそかにしませんでした。国立現代美術館を出て、カナアートセンターの資料室長を経て、2001年、キム・ダルジンさんは自分の名前を掲げた「キム・ダルジン美術研究所」をオープンします。また、2002年には国内外で開かれる美術展示の情報を網羅した月刊紙「ソウル・アートガイド」を創刊しています。キム・ダルジンさんが46年にわたって集めてきた膨大な量の資料は、2008年、「キム・ダルジン美術資料博物館」がオープンしてから本格的に公開されています。

キム・ダルジンさんは資料を集めるだけではなく、資料を分類・整理し、保存する作業も怠りません。記録は一つの歴史に対する根拠であり、今日の記録は明日の歴史になるからです。あきらめを知らないキム・ダルジンさんのこうした努力によって、私たちは忘れかけていた韓国の近現代美術の裏話、画家の素顔に出会うことができるのです。

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