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ピープル

アコーディオン奏者、シム・ソンラク

2017-01-31

1936年生まれ、今年81歳になるアコーディオン奏者、シム・ソンラクさんは韓国を代表するアコーディオン奏者です。2016年7月、「再び吹く風の歌」というタイトルでシム・ソンラクさんのコンサートが開かれました。65年間、アコーディオン奏者として活動してきたシム・ソンラクさんにとって、この日の舞台はいつもより特別なものでした。実は、コンサートを開く4ヶ月、シム・ソンラクさんの自宅が火災で全焼し、生涯を共にしてきたアコーディオンもすべて灰になってしまったのです。専門家のためのアコーディオンの価格はおよそ3千万ウォン。火災ですべてを失ったシム・ソンラクさんにとっては大きな額でした。これを気の毒に思ったレコード会社の代表はクラウド・ファンディングを通じた募金を企画しました。クラウド・ファンディングとは、不特定多数の人がネットを経由して財源の提供や協力などを行うことです。クラウド・ファンディングを立ち上げながら、シム・ソンラクさんは成功すれば感謝コンサートを開くという約束をしました。そして、信じられないことに、2ヶ月でアコーディオンを買えるほどのお金が集まったのです。



シム・ソンラクさんとアコーディオンの出会いは10代の少年時代に遡ります。韓国戦争の終戦を間近に控えていた1953年、シム・ソンラクさんは韓国の南部、釜山(プサン)に住むごく平凡な高校生でした。音楽を聴いているうちに楽器にも興味を持つようになったシム・ソンラクさんは楽器店に通い始めます。時間が経つうちに店長と仲よくなったシム・ソンラクさんは、店長が席を外す時に店をまかされるようになりました。ある日、目についた中古のアコーディオンに好奇心が湧き、シム・ソンラクさんは一つ一つ鍵盤を押しながら音を覚えていきました。

アコーディオンの音に魅了されたシム・ソンラクさんはその日から独学でアコーディオンをマスターしていきます。そんなある日、シム・ソンラクさんは楽器店の店長と知り合いの作曲家に連れられて、釜山(プサン)のKBS番組「のど自慢大会」の見物に出かけることになりました。放送局に着いたとき、舞台ではリハーサルが行われ、ギターとアコーディオン奏者が音を合わせていたのですが、彼らは米軍部隊で演奏している人たちで、韓国の歌謡曲を知らなかったためキーが微妙にずれていました。番組の収録が終わった後、楽器店の店長はシム・ソンラクさんを連れて知り合いの関係者のところに行き、「のど自慢大会」のアコーディオン奏者に推薦、その場で抜てきされました。音楽好きの高校生に過ぎなかったシム・ソンラクさんがある日突然、音楽番組のバンドの一員になったのです。

ハプニングのように始まったシム・ソンラクさんの演奏活動は時間が経つうちに広く知られるようになり、1956年には陸軍の軍楽隊にあたる軍芸隊の楽長に抜てきされます。楽長として、自分の音楽に責任を感じるようになったシム・ソンラクさんは本格的に音楽の勉強を始めることにしました。和声学の本を取り寄せ、毎日遅くまで、独りで音楽の理論を勉強したのです。その後、軍芸隊が解散となり、釜山(プサン)に戻ってアコーディオン奏者として活動していたシム・ソンラクさん。1966年、そんな彼にソウルのレコード会社から歌謡曲の伴奏をするバンドの一員として参加してほしいという依頼が入ります。依頼を受け入れ、ソウルにやって来たシム・ソンラクさんは、その実力を認められ、韓国を代表する多くの歌手のレコーディング作業に参加するようになりました。その後も韓国を代表するアコーディオン奏者として活動し続けてきたシム・ソンラクさん。2000年代に入ってから、長い間、韓国の歌謡界を支えてきた実力と経歴、業績が認められ、さまざまな音楽フェスティバルや公演を通じてシム・ソンラクさんの音楽が紹介されるようになりました。

歌手はもちろん、大衆にも愛され、尊敬されるまでになったアコーディオン奏者、シム・ソンラクさん。そんな彼が火災で楽器をすべて失ったという知らせに多くの人が支援の手を差し伸べたのは65年という長い時間、感動的な演奏を聴かせてくれた音楽家に対する感謝の気持ちでした。そして、その気持ちに勇気づけられ、励まされた年老いたアコーディオン奏者、シム・ソンラクさんはアコーディオンの演奏でその愛に応えているのです。

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