景福宮(キョンボクグン)の西門、迎秋(ヨンチュ)門が43年ぶりに開放されました。
秋を迎える門という意味の迎秋門は、600年前の朝鮮王朝時代に官吏が出入りする門として使われ、王宮で働く民に唯一使用が許可されていた門でした。
慶長の役のとき、景福宮の火事で消失しましたが、朝鮮王朝後期に景福宮を再建する際に、再び建てられました。
その後、1926年に日本の植民地時代の総督府が建てられたことで、壊され、1975年に元の位置から南に45メートル離れたところに再建されました。
しかし、木と石ではなくコンクリートで復元され、市民に開放されず、閉鎖されていました。
その迎秋門を、文化広報部が、光化門(クァンファ)門に続いて復元しました。
迎秋門の開放で、景福宮はようやく東西南北のすべての門が開放されることになりました。
文化財庁は、発掘調査を行って、2040年までに、迎秋門を建設当時の姿に復元する計画です。