メニューへ 本文へ
Go Top

コーナー

徳恵翁主を紹介する林間博物館

2020-05-30

KBS WORLD Radio


朝鮮王朝最後のプリンセス・徳恵翁主の墓は、南楊州市金谷にある父・高宗の陵墓「洪稜」の近くの林の中にある。「大韓徳恵翁主之墓」と刻まれた墓石「表石」が立っている。


同じく高宗の五男、義親王李堈の墓は徳恵翁主の墓のすぐ隣にあるが、こちらには誰の墓かを示す「表石」はない。つまり徳恵翁主の墓だけが誰の墓かすぐわかるようなっている。


徳恵翁主の墓に至る林道脇フェンスには徳恵に関連した写真20枚が掲示されている。その他に朝鮮王朝歴代国王の陵墓を解説した写真パネルなどが並び、長さ1.1キロの林道は、さながら「林間博物館」の雰囲気を呈している。


フェンスの向こうの丘の上に見えるのが徳恵翁主の墓。これらの写真展示は、徳恵翁主のお墓を目当てに訪れる人々に、大韓帝国と李王家の歴史を紹介することを目的にしている。 


徳恵翁主は1912年5月25日、父・高宗と側室の間に生まれた。国王の娘は、普通は「公主」と呼ばれるが、側室との間に生まれた娘は「翁主」と呼ばれた。


中央が高宗、右端が徳恵翁主。徳恵が生まれたとき、高宗は60歳、すでに皇帝から退位し、隠居生活の身分にあった。


高宗は初めての女児の誕生を喜び、徳寿宮の中に専用の幼稚園を造るなど溺愛した。


幼少期の徳恵翁主が暮らした徳寿宮の中の俊明殿、幼稚園があった即咋殿はこの隣にある。 

かつてこの建物の欄間に、 徳恵翁主の幼少期の写真が掲げられていたが、今はない。


日本留学を前にした11~12歳の頃の、韓服、和服、洋服の写真。


徳恵翁主は、ソウルの日本人学校「日出小学校」で日本語教育を受けたあと、12歳で東京へ留学、学習院女子中等学校に通った。(1925年、日出小学校の校長と担任教師と)


1931年、旧対馬藩の第37代当主で伯爵の宗武志(そうたけゆき)と結婚。翌年に長女正恵を出産するが、その後、精神疾患を患い、長い闘病生活に送った。1955年、二人は離婚。


1962年「38年ぶりの帰国」と報じられた写真。徳恵はこの間、一度も帰国せず母親にも会えなかったとされるが、実際には兄・純宗の病気見舞いや葬儀などで何度か帰国している。


徳恵は晩年の26年間、昌徳宮の楽善齋で療養生活を送った。李方子は徳恵の身の回りの世話をする傍ら、知的障害児のための施設や学校を設立、福祉活動に取り組んだ。


徳恵が亡くなったのは1989年4月21日、その9日後には方子も息を引き取った。徳恵76歳、方子87歳。互いに日韓の狭間に立たされ、激動の歴史に翻弄された生涯だった。


2016年公開の映画「ラストプリンセス」(邦題)。女優ソン・イェジンがヒロイン役を演じ話題をさらった。映画では独立運動に関わり日本脱出を図るシーンが描かれ論議を呼んだ。

Close

当サイトは、より良いサービスを提供するためにクッキー(cookie)やその他の技術を使用しています。当サイトの使用を継続した場合、利用者はこのポリシーに同意したものとみなします。 詳しく見る >