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韓国統監府と中央情報部があった『南山』

2021-06-26

KBS WORLD Radio


南山の北麓・日本人居留地にあった「韓国統監府官邸」。1905年第2次日韓協約(乙巳勒約)によって初代統監伊藤博文が派遣され、李完用首相と寺内統監によって1910年日韓併合条約が結ばれた「庚戌国恥」の場所でもあった。


統監府官邸があった場所は、古くは文禄慶長の役(壬辰倭乱)で秀吉の軍が陣を張った場所「倭城台」と呼ばれ、朝鮮時代には兵士が武芸を鍛錬する場「芸場」として使われた。現在『南山芸場(イェジャン)公園』として整備され、統監府官邸の土台が再現されている。


朴正煕大統領が政権を握った5・16革命のあと中央情報部が組織され、かつての統監府官邸跡に中央情報部の庁舎が建設された。その後、国家安全企画部が移転した1995年以降はソウル市南山庁舎第2別館として使われ、2017年に取り壊された。


南山芸場公園の中の「記憶6」と名づけられた建物。かつてここにあった中央情報部の建物は「6局」と呼ばれ、1970~80年代には主に学生運動の取調べが行なわれた。この内部に公開されている地下取調べ室では拷問が行なわれ、「肉局」と呼ばれて恐れられた。郵便ポストの形をしているのは、人権を考えるコミュニケーションの場とするためという。


中央情報部本館の建物は、現在ソウルユースホステルとして使われている。この南山北麓一帯には中央情報部関連の施設が40か所もあり、「南山」といえば中央情報部KCIAを指した。いま「人権の道」として中央情報部の関連施設をたどるルートが設定されている。


南山芸場公園の地下施設は2021年6月、「友堂(ウダン)李会栄(イフェヨン)先生記念館」としてオープンした。中央情報部6局の建物を解体撤去する際には「拷問博物館」として保存すべきだなど多くの議論があったが、結局、旧満州・間島で活躍した抗日独立運動家の記念館となった。

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