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KBS World Radio 光復70周年 大韓民国パノラマ'
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コリア70年
維新時代、青年文化の風が吹く
2015-04-21
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1972年10月17日、午後7時。韓国全域に非常戒厳令が宣布されました。その日、「韓民族が生きる道を探すための維新的改革を実施する」という大統領特別宣言が発表されました。こうした一連の措置は「10月維新」と呼ばれ、この時から韓国の人たちは、言論の自由まで掌握した政権の統治に、息を潜めて生きるしかありませんでした。
暗欝な雰囲気に包まれた1970年代始めの韓国社会。そんな雰囲気に対する反感からでしょうか、自由を渇望する青年文化が頭をもたげ始めます。アコースティックギター、ジーパン、そして長髪で象徴される70年代の青年文化は韓国の大衆文化に大きな変化をもたらします。
1970年代の青年文化についてご紹介する前にその背景となった当時の韓国社会や政治について簡単に触れてみましょう。1972年12月27日、朴正煕(パク・ジョンヒ)大統領は、第8代韓国大統領に就任しました。1963年、第5代韓国大統領として就任した朴正煕大統領は、1971年4月に実施された大統領選挙によって3度目の執権に成功しました。しかし、3度目の選挙で、野党の金大中(キム・デジュン)候補を相手に苦戦した朴正煕大統領は、長期執権が危ういと判断し、およそ1年半が経った1972年10月、突然、戒厳令を宣布したのです。そして、その10日後には憲法改正案が発表されます。憲法改正は速やかに進められました。維新憲法と呼ばれた新しい憲法によって行政権、立法権、司法権など3つの権利をすべて掌握した大統領が永久執権できる道が開かれたのです。
維新憲法を通して政権を掴んだ政府は社会を安定させるという名分で、国民の日常を統制し、抑圧しました。また、社会の乱れを防ぐという名目で大衆文化をはじめ、自由な文化活動も統制するようになりました。そんな中で芽生えたのが1970年代の青年文化なのです。
当時の若者の文化、青年文化は大学を中心に生まれました。ジーパンは若さの象徴であり、長い髪に、肩からギターを下げた姿はおしゃれな若者の姿でした。若さを象徴するジーパンは、アメリカのポップカルチャーに由来したといえます。アメリカの歴史を見ますと、ジーンズは挑戦、開拓、成就などさまざまな意味を持っていたのです。また、アコースティックギターも人気がありました。いつどこでもギターを弾きながら好きな歌を歌えたからでしょう。長髪は、当時の韓国社会が軍事政権で短い髪型や制服姿が一般的だったため、若者が自分だけの個性やスタイルを表すための手段だったといえます。
当時、韓国は男性の長髪を禁じていました。1973年、1年間に長髪の取締りで摘発されたのは12,800人あまり。摘発されると強制的に髪の毛を切られました。当時の男性たちが長髪に魅了された理由は、長い髪型が自由と個性を象徴していたからだといえます。若い女性の間ではミニスカートが流行り、定規を持った警察は短いスカートを履いた女性のスカート丈を図って、膝上20センチ以上だと、軽犯罪者として処罰しました。政府と青年たちの文化的葛藤は歌謡界でも見られました。1970年代、韓国の歌謡界には肩からギターを下げた20代の若い歌手が登場し始めます。若い歌手は、伴奏に合わせて歌っていたそれまでの歌手とは違って、自分で曲を作り、ギターを弾きながら、自由と情熱を歌いました。
若い歌手の人気が高まると、当時の政府はこうした歌が時代に反するだけではなく、社会的不安感を高め、風紀を乱すなど、さまざまな理由で禁止曲に指定しました。たとえば、「それは君」という曲は他人に責任を転嫁する内容だとして禁じられ、「水をください」という曲は水による拷問を連想させるという、納得できない理由で禁じられてしまうのです。それでも、青年文化は生き残りました。
韓国の人たち、特に若者を徹底的に統制していた1970年代始めの維新体制。暗欝な時代に活気を吹き込んだ韓国の青年文化はその後も消えることなく、ゆっくりと根を降ろし、今日に至っています。
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