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KBS World Radio 光復70周年 大韓民国パノラマ'
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漢江の変化
2015-06-23
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ソウルの中心を東西に横切って流れる川、漢江(ハンガン)。平日でも散歩やサイクリングをしたりする人たちでにぎわう漢江は、ソウル市民にとってなくはならない憩いの場です。観光客を乗せた遊覧船が浮かぶ漢江からはゆとりとロマンが感じられます。しかし、一昔前の漢江は今のようにきれいでもなく、大雨のたびに川があふれ、大きな被害を出していました。現在の穏やかな漢江は半世紀あまりにわたって注ぎ込まれた努力の賜物なのです。
北韓にそびえる山、金剛山(クムガンサン)から始まり、南に下ってくる北漢江(プッカンガン)と、韓国の東部にそびえる山、五台山(オデサン)に源を発し、北に向かって流れてくる南漢江(ナムハンガン)がソウルの近郊、京畿道(キョンギド)で合流して、ソウルを横切って西の海に向かって流れる漢江。全長514キロの漢江には、上流にある八堂(パルタン)大橋から西の一山(イルサン)大橋まで、30の橋がかかっています。北韓を含めると、韓半島のほぼ中心を流れる漢江は、古くから漢江は韓国の歴史、文化の中心でした。漢江流域を支配した勢力が韓半島全体を支配していたといえます。また、漢江の流域は韓国の国土の12パーセントを占め、古くから農業や商業の中心として発達してきました。
1960年代の漢江は、渡船場や洗濯場など、庶民の暮らしの一部でしたが、ソウル市民にとって最高の遊びの空間でもありました。しかし、1950年代に入ってから、漢江は上流から流れてきた土砂などで川底が高くなり、水量が急激に少なくなりました。川幅は広かったのですが、川底の砂が剥き出しになっている所も多く、雨が降らない時期は水質が悪くなり、梅雨の時期になると大きな洪水が起きていました。1960年代半ばを過ぎた頃、韓国政府は繰り返される洪水による被害を防ぐため、漢江の開発に取り掛かります。1968年から71年まで、3年にわたって「第1次漢江総合開発事業」が進められました。最初の目標は洪水の防止と堤防を築いてその上に道路を敷くことでした。コンクリートで堤防を築き、砂丘のようになっていた共有水面を埋め立てた盤浦(パンポ)と蚕室(チャムシル)地域には大規模な住宅地が作られました。さらに、洪水が起きるたびに大きな被害を被っていた島、汝矣島(ヨウィド)の周囲を囲む全長7.6キロの輪中堤を築いて、島に見えない現在の汝矣島が誕生しました。
こうした大規模な工事にもかかわらず、なぜか漢江の水量は増えず、水深もそのままでした。堤防工事によって川の流れが直線化したため、水が集まることなく海へ流れてしまうのが原因でした。もう一つ、水量や水深よりも深刻な問題は水質汚染でした。大量の生活排水や工場排水が浄化されないまま漢江に流れ込んでいたのです。水質汚染によって大量の魚が死に、プールも閉鎖されました。汚れた川には釣りをする人も渡り鳥も訪れませんでした。
1982年、これ以上漢江を放っておけないと判断した韓国政府は、第2次漢江総合開発計画を打ち出しました。第2次漢江総合開発事業は1982年から86年にかけて進められました。水質を改善するという理由もありましたが、もっと大きな理由は1981年にソウルオリンピック誘致が決定したことでした。また、1988年のソウルオリンピックに先立って、86年のアジア大会もソウルで開かれることになっていました。2つの国際大会をきっかけにソウルを訪れる外国人観光客に環境親和的な国際都市ソウルをアピールするため、そのシンボルともいえる漢江の開発計画が発表されました。
1986年9月10日、3年11ヶ月にわたって進められた第2次漢江総合開発が完了しました。漢江総合開発事業によって、川の南沿いには自動車専用道路のオリンピック大路が作られ、川のほとりには広い河川敷が設けられました。また、蚕室(チャムシル)と金浦(キンポ)地域を流れる川底に堰(せき)を設置して、水の流れを妨げずに水量を増やすことができました。漢江に遊覧船が登場したのもこの時期でした。また、漢江の南と北にそれぞれ下水管を設置し、下水処理場も作りました。生活排水や工場排水がそのまま漢江に流れ込まないようにすると、短期間に漢江の水質がよくなりました。
漢江総合開発計画に対する評価はまちまちです。昔の風情が消えてしまったことを残念に思う人がいる一方で、開発事業によって水質がよくなり、川沿いに市民公園が作られたことで誰もが気軽に利用できる憩いの空間になったという意見もあります。
韓国の人々と共に生き、その歴史を見守ってきた川、漢江。美しい自然が広がっていた昔も、きれいに整備された今も、漢江は人々の暮らしに溶け込んでいます。そして昔と同じく、今日も静かに、悠々と流れています。
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