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コリア70年
文化大統領「ソテジ ワ アイドゥル」の登場
2015-08-18
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1992年3月、20歳になったばかりの歌手、ソ・テジを中心とした3人グループ「ソテジ ワ アイドゥル」、日本語にすれば「ソテジと仲間たち」がデビューします。彼らのデビュー曲「僕は知っている」は韓国語のラップとダンス、耳慣れない音楽で韓国の若者を魅了しました。
「ソテジ ワ アイドゥル」彼らの登場は、それまでバラードや日本の演歌に似たトロット、フォークソング風の曲がほとんどだった韓国の歌謡界に、ヒップホップやニューメタルなど新しい音楽を次々と披露、革命といわれるほど、大きな変化をもたらしました。彼らの登場で、破裂音と難しい発音の多い韓国語はラップに向いていないという偏見も、見事、打ち砕かれました。
今では、「K-popの伝説」、「文化大統領」とまで評価される「ソテジ ワ アイドゥル」ですが、デビュー当時、彼らに対する韓国の歌謡界、特に大人の世代の反応は冷ややかなものでした。ゆったりとしたやさしいメロディに慣れていた世代にとって、早口言葉のように聞こえるラップや動きの大きいビーボーイダンス、速いリズムの音楽は決して聞きやすい歌ではありませんでした。一方、若者、特に10代の反応は違いました。「ソテジ ワ アイドゥル」のコンサートに駆け付け、ファンクラブを作って、彼らを応援します。
「ソテジ ワ アイドゥル」の人気はまさに爆発的なものでした。各テレビ局の音楽チャートを席巻しただけではなく、180万枚が売れた彼らのファーストアルバムはデビューアルバム最多販売の記録を塗り替えました。その裏には、10代の圧倒的な支持があり、この頃から、韓国の歌謡界で「10代の文化」が注目されるようになります。「ソテジ ワ アイドゥル」はデビューしたその年、年末の歌謡大賞を総なめにし、韓国を代表するグループとして認められるようになりました。また、「ソテジ ワ アイドゥル」の音楽やファッションは10代を中心とした若者の間でもっともホットな話題でした。彼らは韓国の歌謡界だけでなく、大衆文化全般にわたって大きな変化をもたらしたと評価されています。
1972年生まれの「ソテジ ワ アイドゥル」のリーダー、ソ・テジは、高校2年生の時にロックバンド「シナウィ」のべーシストとして音楽活動を始めました。彼は音楽に専念するため、高校を中退しています。そして、1993年に発表したセカンド・アルバムでソ・テジは、自分だけの個性あふれる音楽をアピールします。タイトル曲「何如歌(ハヨガ)」はラップとヒップホップ、エレキギターと韓国の伝統楽器の太平簫(テピョンソ)のメロディをアレンジしたソ・テジならではの音楽と評価されています。彼の新しい試みは音楽ファンに受け入れられ、「ソテジ ワ アイドゥル」のセカンドアルバムは210万枚の売上げを記録しました。
1994年、「ソテジ ワ アイドゥル」の3枚目のアルバムが発表されます。タイトル曲は「渤海を夢見て」。「渤海」とは、新羅によって韓国が統一された時代、高句麗の難民たちによって統一新羅の北につくられた国のことですが、ソ・テジはもう一つの北の国、すなわち北韓を渤海に例え、韓半島の分断について歌いました。彼らの音楽は単に楽しむだけのものではなく、社会的なメッセージを投げかける手段となっていたのです。さらに、画一化された韓国の教育を批判する「教室イデア」、家出中の青少年に送るメッセージが印象的な「カムバック・ホーム」など、「ソテジ ワ アイドゥル」の音楽は当時の韓国社会を映し出し、若者の悩みと現実を訴えました。
デビュー4年目の1996年1月、「ソテジ ワ アイドゥル」は、突然、引退宣言をします。最高の人気を博していた「ソテジ ワ アイドゥル」の引退宣言に反対するファンも多かったのですが、3人のメンバーはそれぞれの道を歩んでいきました。彗星のごとく現われ、数々の話題を残し、あっけなく引退してしまった「ソテジ ワ アイドゥル」。90年代の韓国社会を揺るがした彼らの音楽は引退から20年あまりが経った今も歌われ、若者の「文化大統領」として記憶されています。
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