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地方自治制度の復活

2015-09-08

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1995年、全国で同時に実施された地方選挙を通して韓国の地方自治制度が復活しました。1948年、最初の韓国政府が樹立した後、一時的に施行されたものの、その後、長い間、姿を消していた地方自治制度が復活したのです。、

韓国に初めて地方自治制度が導入されたのは日本による植民地支配から解放されて間もない1948年、第1共和国の時でした。1948年に制定された憲法に含まれた地方自治に関する規定に基づくものでした。1949年、「地方自治法」が制定されましたが、地方自治制度はその2年後の1952年、韓国戦争中、ソウルおよび復旧作業が終わった地域で地方議会議員を選出する地方選挙によって施行されました。当時の地方自治制度は直接選挙を通して地方議会議員を選出し、地方議会が間接選挙で団体長を選出する方式で進められました。

その8年後の1960年、数々の汚職事件や不正選挙で国民の信頼を失った李承晩(イ・スンマン)政権を糾弾する4.19革命が起こり、第1共和国の幕が降ります。次いで樹立した第2共和国時代には、地方自治法が改められ、地方選挙の対象に議員だけでなく、地方公共団体長まで含まれるようになり、本格的な「地方自治」時代が到来するものと期待されました。しかし、本格的な地方自治制度の実施を目前に控えていた1961年5月16日、当時、陸軍少将だった朴正煕(パク・ジョンヒ)を中心とした軍事クーデターが起こり、地方議会は解散され、地方公共団体は廃止されてしまいます。その後、30年あまりにわたって地方の政治と行政は中央政府によって決定され、施行されることになります。

長い沈黙を破って、韓国の地方自治制度が復活の兆しを見せたのは1987年のことでした。当時、韓国社会は民主化に向けたる国民の要求が大きくなり、全国各地で大学生を中心とする大規模な集会が開かれていました。1987年当時、民主正義党総裁を務めていた盧泰愚(ノ・テウ)代表は、混乱していた韓国社会を鎮めるため、「6.29宣言」を発表し、その中で地方議会の構成を提案したのです。その年に行われた第13代大統領選挙でももっとも重要な公約の一つとして登場します。しかし、選挙が終わった後、地方自治制度の復活に関する政治的な意見の対立と争いが絶えず、政権は変わったものの、地方自治は実現しないまま3年あまりが経ってしまいます。そして、1990年12月、与野党が地方自治制選挙法に合意したことで、ようやく韓国の地方自治制度が復活することになったのです。与野党の合意で、すぐにも実施されそうに見えた地方自治制度は、1991年3月、再び、挫折してしまいます。経済的な安定を優先させるという理由で、与党が地方選挙を延期したのです。

いろいろな理由で地方選挙は延期されましたが、地方自治の実施を通して本当の意味での民主主義を実現させたいという国民の熱望は高まる一方でした。そして、1995年6月、ついに初めての全国同時地方選挙が行われます。全国民の関心を集めた初めての地方選挙は68.4パーセントの高い投票率を記録し、その2年後の1997年に実施された大統領選挙では韓国政府樹立後、初めて野党が勝利します。大統領選挙での野党の勝利は、地方自治制度の実施で韓国の政治が大きく成長したことを意味すると評価されています。

さまざまな難関を乗り越え、1995年に復活した韓国の地方自治制度は国民の経済と文化に大きな変化をもたらしました。地域住民によって選ばれた地域の代表は、中央政府に影響されることなく、地域を発展させるために努めるようになりました。各地域の文化施設や医療施設などが増加し、地域経済に活気を吹き込むため、地域の特色を活かしたイベントや祭りも企画されるようになりました。

1995年、中央政府の干渉から逃れ、ようやく独り立ちをはじめた韓国の地方自治制度。20年が経った今は、しっかりと根を降ろし、韓国の民主主義の礎となっています。