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映画「狼をさがして」

#成川彩の優雅なソウル生活 l 2021-04-02

玄海灘に立つ虹


今日ご紹介する映画はドキュメンタリー映画で、キム・ミレ監督の「狼をさがして」です。韓国では昨年「東アジア反日武装戦線」というタイトルで公開され、現在日本で公開中です。公開初日から満席、満席で、上映回数が増えたと聞いています。なぜ日本で韓国のドキュメンタリーが話題になっているか、と言うと、日本で起きた事件が素材となっているからなんですね。


韓国の原題「東アジア反日武装戦線」は、1970年代の日本の左翼系グループで、連続爆破事件を起こしたテロリスト集団です。その少し前の時期は、学生運動や安保闘争などの運動が盛んだった時期で、だんだん一部で過激化していくんですね。私も生まれる前の時期なので正直よく知らない事件だったんですが、メンバーの中には、桐島聡など、指名手配になっているけどもいまだに行方が分からない人もいます。桐島聡って、いつも写真と名前を警察の指名手配の張り紙で見ていたんですが、それがこの東アジア反日武装戦線のメンバーだというのは、今回の映画をきっかけに知りました。


私は監督の通訳を映画完成後から担当していて、最初は日本の配給が日本で上映したいというので監督とのミーティングの通訳に入ったんですが、監督が日本での上映に慎重で、劇場公開までは考えていなかった、一部の関係者や限られた人を対象にという話もしていたぐらいなんですが、結果的に日本のメディアの関心が非常に高く、たくさんの記事が出て、かなりの数の劇場で上映されることになりました。

なぜ監督が慎重だったかというと、やはり連続爆破事件では死傷者もたくさん出ているからなんですね。東京のど真ん中、丸の内の三菱重工本社ビルの爆破では8人が亡くなっています。日本では「テロ事件」としてタブー視されていて、時がたってほとんど語られなくなっている。テロそのものは許されないことだけども、なぜ事件が起きたのかというのは、改めて考え直す問題でもある。だからこそ、多くの日本のメディアが注目したんだと思います。


日本の事件をなんで韓国の監督が?という疑問は誰もが抱くと思いますが、キム・ミレ監督はもともと労働問題にまつわるドキュメンタリーを撮っていて、大阪の釜ヶ崎で日雇い労働者を取材するうちに日本の労働運動と関連する運動として、東アジア反日武装戦線の話を聞いたそうです。

監督は撮り始めた当初は、東アジア反日武装戦線のメンバーたちに会って話を聞くつもりだったそうです。だけども、実際は行方が分からなかったり、死刑囚として収監されていたりでなかなか会えないんですね。それで監督は複数のメンバーの出身地である北海道を訪ねます。北海道というのはもともとアイヌ民族がいた土地ですよね。ここに監督は韓国との共通点を見つけます。日本国内の植民地と、元植民地で1945年に解放された韓国。インタビューの時には複数の記者から、東アジア反日武装戦線の「反日」の意味について聞かれましたが、監督は「日本帝国主義に反対すること」と答えていました。今、日本では「反日」が「売国奴」のような意味で使われますが、日本帝国主義へ反対する意味では、その反対する主体が日本人でも韓国人でもいいわけですよね。北海道で生まれ育った犯人たちは、アイヌ民族と日本の歴史を考えるなかで「反日」になったと監督は感じたそうです。


労働問題を追ってきた監督は、この映画を作りながら「加害性」について考えたと言います。韓国は被害者だという見方しかしてこなかったけども、韓国もある面では加害者かもしれないと考え始めたそうです。例えば、人件費の安い東アジアの国々に企業が進出して労働搾取をするとか、そういうものも含めて、ということです。なのでまずは韓国の観客に向けて作った映画だったんですが、むしろ日本で注目を浴びた、ということです。


監督のインタビュー通訳をして気付いたのは、インタビューをする記者の多くが70年代を経験した世代で、テロは肯定はできないけども、70年、戦争責任や植民地支配について日本人自らが考えて声を上げた時代があったこと、今はそういう人たちがほとんどおらず、逆に「反日」と呼ばれてしまうことについて問題を感じている、ということでした。今日は少し難しい話をしましたけども、日韓関係を考えるヒントが、この映画にあるなと感じて紹介しました。

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