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文化

「イタリアの庭園」ほか

#国楽の世界へ l 2023-01-31

国楽の世界へ

「イタリアの庭園」ほか

日本植民地時代、チェ・スンヒという舞踊家がいました。韓国ではじめて、西欧式の技法の踊りを捜索し、有名になった方です。子供の頃、日本の現代舞踊家、石井漠さんの舞踊の公演を見て、日本に渡って彼の弟子となり、舞踊に入門したといいます。帰国してからは、チェ・スンヒ舞踊研究所を設立して新作発表会を開催し、話題になります。その後、彼女は韓国の伝統的な踊りを習いはじめました。そして、韓国の伝統的な踊りを、現代の舞台に似合う形で再構成し、朝鮮の舞踊界を代表する人物として世界に知られるようになります。1938年に開催された海外のコンクールでは、当時の世界的な舞踊家らと共に審査委員として招かれたほどです。ところが、踊りだけでなく、歌も上手だったようです。「イタリアの庭園」という歌を歌い、レコードも発表しました。数年前、「朴烈(パクヨル)」という映画を通じて親しまれた曲でもあります。今日は、まず、イ・チョンピョさんの歌とカヤグムの演奏で、「이태리의 정원、イタリアの庭園」という曲をお楽しみください。


チェ・スンヒさんは世界的に有名になって活動する一方、日本軍のための公演をするなどで、非難を受けることもありました。彼女の身近な人からは、そのような活動を通じて、独立運動にお金を出すなど、国のために努力したという主張もあります。あまりにも昔のことで、今では何が本当のことなのか明かすのも困難です。今だに論争が続くのも、植民地の傷跡ではないかと思います。その時代、文化と芸術に携わる人々は、日本の監視を避けて、韓国の歌を作るために努力しました。今では民謡として知られる、「ノドゥル川辺」という曲もそのひとつです。春の景色を歌う内容からはじまり、後半では、植民地の支配の下で民が苦しむ気持ちを表現しています。この歌の歌詞を書いた人は、当時漫談でも有名だった、シン・ブルチュルという方です。本当の名前は、ホンシクですが、植民地支配を受ける世の中には生まれてこなければ良かったという意味の漢字を組み合わせて、ブルチュルという芸名で活動したそうです。この歌は、作曲家ムン・ホウォルさんと川辺の渡し場で船を待っていた時、美しい景色を見てその場で作詞と作曲をした曲です。1934年、パク・ブヨンさんの歌でレコードが発表され、大きな人気を博し、民謡として定着しました。それでは、キム・ヨンウさんの歌で、「노들강변、ノドゥル川辺」という曲をお楽しみください。


最近よく歌う京畿(キョンギ)の民謡には、日本植民地の頃に発表された新しい民謡があります。「太平の歌」という曲もそのひとつです。もともとは、1935年、当時最高の人気を博していた歌手が、「テピョンヨン」という題目で歌って流行りました。京畿の民謡「チャンブタリョン」を変奏した曲で、ワルツのリズムの新しいイメージの曲です。この曲が代表的な京畿の民謡になるには、イ・ウンジュさんの役割がありました。彼女は、韓国戦争のとき、久々舞台に立ち、この曲を歌ったといいます。今日の最後は、ソン・ソヒさんの歌と、二番目の月の演奏で、「태평가、太平の歌」という曲をお楽しみください。イ・ウンジュさんは、早く平和な世の中になってほしいという願いを込めて、「テピョンヨン」という曲を祭祀の音楽の拍子に合わせて歌いました。大変なときを、歌で乗り越えようとした昔の知恵が反映された曲です。

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