メニューへ 本文へ
Go Top

文化

「青山里(チョンサンリ)ビョッケスヤ」ほか

#国楽の世界へ l 2022-12-05

国楽の世界へ

「青山里(チョンサンリ)ビョッケスヤ」ほか

朝鮮時代の芸者妓生は、とても特別な職業でした。官庁の所属だったため、一種の公務員ともいえますが、正確には官庁所属の奴婢なので身分は賤民です。ところが、上流階層のヤンバンを相手にするので、文学を学び詩を作ったり、絵を描いたり、歌や踊りが優れた芸術家でもあります。そんな妓生の中で一番有名な人は、ファン・ジニです。ファン・ジニについては、今日の観点で考えてもびっくりすることがたくさんあります。ファン・ジニは、近所の男性が自分のことが好きで、恋煩いで死んだことをきっかけに、自ら妓生になったといわれるほど美しかったそうです。詩やコムンゴの演奏にも優れ、彼女の詩は今でも歌として歌われているんです。今日の最初は、彼女が作った詩を歌にした、「青山里(チョンサンリ)、ビョッケスヤ、青山里(せいざんり)、ビョッケスヤ」という曲を、イ・ユンジンさんの歌でお楽しみください。


この歌に登場する「ビョッケス」は、清い渓谷の水を差す言葉でもありますが、ある学者ソンビの名前でもあります。彼はファン・ジニに一度会ってみたいものの、彼女が誰とでも会うわけではないというお話を聞きました。知人にアドバイスをもらったところ、ファン・ジニがよく行く東屋に行ってコムンゴを演奏するように言われました。彼女が来たら知らんぷりをして、馬に乗って去ってしまうように言われたのです。ビョッケスはその通りにしたのですが、ファン・ジニが彼の後姿を見てこの歌を歌うと、あまりにもびっくりして馬から落ちてしまったとのことです。当時、ファン・ジニの名声がどれほどすごかったのか推測できます。ファン・ジニは開城(ケソン)という地域の妓生でしたが、全羅道(チョンラド)地方にはメチャンという名前の妓生がいました。メチャンも詩を作ることが上手なことで有名でした。彼女が亡くなった後、官庁の役人がお金を集めて彼女の詩集を作ったほどだそうです。メチャンは、恋人と別れたときの悲しみを、コムンゴを演奏し歌を歌って表現したそうです。今度は、コムンゴに心を込めた、そんなメチャンを称える音楽です。チャン・ウンソンさんのコムンゴの演奏で、「거문고를 타면서、コムンゴを演奏し」という曲をお楽しみください。


今度は、ケソムという名前の妓生のお話です。ケソムは性格が強かったようです。10年も自分を後援してくれた両班が、一言失言をすると、未練なく去ってしまいました。そのとき、イ・チョンボという両班がケソムの世話をし、立派な先生に歌を習う機会を与えたといいます。そのおかげでケソムは、宮中でも歌うほど有名になりました。後日、イ・チョンボがこの世を去ると、毎日彼のお墓を訪ねて涙を流したといいます。そして、年をとると未練なく世俗を去ると決心し、所有物を売って山に入り、畑を買い小さな家を建てました。ソンビらはケソムを止めようとしましたが、彼女は未練なく去って行ったと言います。今日の最後は、チョン・マリさんの歌で、「먼데 님、遠くの愛しい人」という曲をお楽しみください。彼女は、今はまだ若いから止めてくれるものの、自分が歳をとると捨てるはずなので、今のうちに去ると言って去って行きました。そして、チョンソンという地方に行って、麻布で作ったスカートと草履をはき、ナムルを摘み取って、お経を唱えて生活したとのことです。

おすすめのコンテンツ

Close

当サイトは、より良いサービスを提供するためにクッキー(cookie)やその他の技術を使用しています。当サイトの使用を継続した場合、利用者はこのポリシーに同意したものとみなします。 詳しく見る >