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文化

「植えたヤナギ」ほか

#国楽の世界へ l 2023-02-14

国楽の世界へ

「植えたヤナギ」ほか

今週の日曜日は、雪や氷が溶けるという、雨水という節季です。雨水の次の節季は、啓蟄で、冬ごもりをしていた生き物が目覚めるという日です。雨水、または、啓蟄の頃になると、北韓の河川、大同江(テドンガン)が溶けるということわざもあります。冬の間凍っていた大同江が溶けると、ついに船が往来できるようになります。すなわち、人々が遠くまで移動できるようになることを意味します。この頃になると、港では別れの挨拶をする人々も多く見られました。今日の最初は、ヤナギに関する曲です。春が近づいてきても、なぜか寂しい気持ちの方もいらっしゃるかも知れません。そのような方には、この曲が慰めになるはずです。


高麗時代、チョン・ジサンという方は、春の雨上がりの日、大同江の土手で、恋人を見送る歌が悲しく聞こえると言いました。暖かくなると去る人もいれば、戻ってくる人もいたはずです。心理学者によると、大きな利益より小さな損害にもっと執着するのが人の心理だそうです。出会うときの喜びより別れの悲しみを歌う音楽が多いのも、そんな理由なのかもしれません。今度は、季節が変わるごとに四季を楽しめる音楽です。山にお花が咲いているのをみると、確かに春が来たようではあるが、世の中は寂しい。自分にも青春があったが、今では白髪になって空しいという内容で始まる音楽です。人間が百年を生きるとしても、病気の日と眠っている日、心配や悩み事がある日を除くと40年にもならないので、生きているときよく遊び楽しもうという内容の歌です。若い頃より、年をとるほど共感できるような歌だと思います。


今度は、同じ歌詞を正歌(チョンガ、せいか)の歌い方で歌う曲です。短い歌と書いて、短歌は、伝統芸能パンソリの前に歌い手が喉の調子を整えるために歌うものです。パンソリは感情の変化を大きく表現するのですが、短歌はそれよりは淡々と歌うのが特徴です。一方、正しい歌と書いて、正歌は、感情を最大限節制する歌い方のジャンルです。喜びや怒り、悲しみ、楽しい感情をあまり表さず、でも聴き手が分かるように歌うのが魅力です。同じ歌詞を歌っていても、短歌と正歌はイメージが大分違うのです。四季の歌を、短歌と正歌の歌い方でそれぞれお聞きいただきました。先ほどの短歌と比べて、正歌ではどのような違いが感じられたでしょうか。

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