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国立慶州博物館の特別展「韓国古代の外来系文物~違いがつくる多様性~」の展示品より、半島西部の馬韓・百済の古墳から数多く見つかる中国製陶磁器。当時の有力者たちはこうした陶磁器を自分の権威を示す「威信財」として使い、中国との良好な関係を誇示したと思われる。


いっぽう半島東部の辰韓・新羅の古墳からは、中国製陶磁器はまったく見つからず、代わりに副葬品として見つかるのは、遠くユーラシア大陸を運ばれてきたガラス器で、同じく権威を示す「威信財」として使われたものと見られている。


半島南部の弁韓・加耶の出土品は、弥生式土器(土師器・須恵器)によって特徴づけられ、この地域に多くの倭人が定住していたことを物語っている。彼らの目的は、当時、加耶で大量生産されていた鉄製品を日本に運び出すことだった。


慶州の鶏林路14号古墳で見つかった短剣の鞘(さや)「装飾宝剣」。インドで産出する宝石ガーネットが使われ、銅の成分からクリミア半島で加工された可能性があることなど、新羅は幅広い地域と交流があったことを物語る。


ユーラシア大陸の草原の道・ステップルートを往来し、実際にモノを運んだのは、イラン・ペルシャ系の商人ソグド人だった。新羅は、そうした長距離中継交易に参加し、物資の集散中継地の役割を果たしたと見られている。


慶州の皇南大塚古墳で見つかった「鸚鵡貝殻杯」。南の海でしか採取できないオウム貝や夜光貝を使った器、インドネシアでしか採れないガラス玉を使った首飾りなど装身具も見つかり、海のシルクロードを通じた交流の跡もうかがえる。


人やモノが移動すれば、それに伴って宗教や思想、新しい考え方も伝わる。百済や新羅が中央集権国家としてまとまり、やがて新羅が三国を統一するに当たっては、統治哲学として普遍的な真理を説く仏教の力が大きかったといわれる。


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