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高速鉄道KTXの新慶州駅を降りると駅前広場に小さな古墳がある。駅舎周辺は芳内里(パンネリ)古墳群があった場所で、2005年から3年かけて行った埋蔵文化財調査では石槨墓34基が見つかっている。慶州は、三韓時代、辰韓・斯廬国の都となり、935年の新羅滅亡まで「千年の古都」として知られる。


市内歴史地区の古墳「天馬塚」の石室内部のレプリカ展示。近くの「金冠塚」で初めて金冠が見つかったのは1921年。それ以後、天馬塚や皇南塚でも多くの金製装身具が見つかった。辰韓時代の墳墓からは大量の鉄器が見つかっているが、その後、新羅時代の古墳から高度な加工技術を施した金製品が多く見つかっている。


新羅統一に貢献した国王として知られる第29代武烈王の陵墓。武烈(ムヨル)王は国王になる前の647年、外交使節(または人質)として「大化の改新」の真っ只中の日本を訪れ、律令制改革の中心を担った新羅渡来人を督励したとも言われるなど、日本との関係も深い。


武烈王陵にある亀趺(国宝25号)。武烈王は648年、唐の長安で太宗と会談し、百済・高句麗を共に攻める唐・新羅連合軍の密約を交わすなど巧みな外交戦術を駆使した。新羅は、のちに唐とも一戦を交えるが、この時利用したのが吐蕃(チベット)の反乱の動きなど、中国を取り巻く国際情勢だった。


金庾信(キム・ユシン)将軍の墓。百済、高句麗との戦いに戦功を上げ、新羅統一に貢献した。もともとは加耶の王族の出身だが、武烈王に取り立てられ、新羅王室との関係を深めた。国王ではなかったにも関わらず、その墓は国王の形式とまったく同じ、後世も尊敬を集めたことが分かる。


慶州を代表する観光スポット・仏国寺。創建は751年。文禄の役(1693年)では、兵の集結拠点となったため、秀吉軍の焼き討ちに遭って全焼。完全に再建されたのは1969年からの復元事業のあとだった。コロナ以前は、福岡から高速船で釜山に渡り、慶州まで足を伸ばすツアーが盛んだった。


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