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ⓒ MBC

今月4日、韓国船籍のタンカー「韓国ケミ」がイランの海上で拿捕されました。現在は韓国外交部の 崔鍾建(チェ・ジョンゴン)第1次官がイラン入りして、交渉を進めていますが交渉は難航しています。いったいなぜ突然イランは韓国のタンカーを拿捕したのか、その背景には何があるのか、イランと韓国との関係を見ていきたいと思います。

ソウル江南駅の1番出口を出ると、「テヘラン路」と韓国語とイラン語で刻まれた大きな石が道路に立っています。1977年イランの首都テヘランの市長がソウルを訪問し、互いの街の名前を道路につけることを提案しました。それを契機にそれまで「サムリュン路」と呼ばれていたこの道が「テヘラン路」と名前を変え、今では江南を代表する、メイン道路となっています。

イランは昔から中東の中でも最も韓国に友好的な国でした。パク・チョンヒ大統領の時代には中東の建設ブームで韓国から2万人の建設労働者が出稼ぎに行っていました。当時はイランも韓国と同様に、中東を代表する親米国家でした。

しかしその後1979年にイラン革命が起き、イランはだんだんと反米路線を歩んでいきます。それでも韓国とは友好関係が維持されます。韓国貿易協会によればイラン革命の翌年1980年の韓国イラン間の貿易額は12億6000万ドルで、これは前年比2倍以上増加した金額でした。そして2010年代の初め、イランは韓国の中東3大輸出国の一つとなり、イランにとっても韓国は4大貿易国の一つでした。そして両国の貿易規模は2011年に174億3000万ドルで頂点を極めます。

また当時は韓流ブームがイランでも起き、2007年にイランで放送された韓国ドラマ「テジャングム:宮廷女官チャングムの誓い」は90%の視聴率、2009年の「朱蒙」は85%の視聴率を記録しました。

一方アメリカはイランとの関係が悪化した後も、韓国とイランとの友好関係については問題視しませんでした。しかし2000年代になりイランが軍事的な目的で高濃縮ウランを製造しているという疑惑が生じました。そして2010年5月アメリカは「包括的イラン制裁法」を施行します。この法律はイランとドルで取引する外国企業も制裁の対象に含めるというものです。

イランとの貿易規模が大きい韓国はドルではなくウォンで貿易代金を払うという法案を作り、アメリカ政府から承認を得ました。これが今回問題となっている「凍結資金:ウォンでの決済システム」です。イラン中央銀行は韓国の企業銀行とウリ銀行にウォンの口座を開設しました。イランの企業は韓国企業から品物を買う際に、イラン中央銀行に現地の貨幣で代金を入金します。そして韓国の精油会社がイラン原油を購入する際には代金は韓国の企業銀行やウリ銀行のイラン口座にウォンで振り込まれます。

このシステムがアメリカの強力なイラン制裁により、2019年5月、韓国の企業銀行とウリ銀行にあるイラン中央銀行の口座が凍結されてしまいます。凍結された金額は、70億ドル。この凍結された70億ドルが今回の韓国タンカー拿捕の原因だと言われています。

そのためイラン入りした韓国政府の代表団はイランの外交当局だけでなく、イラン中央銀行の総裁とも面談しています。

イラン中央銀行のヘンマティ総裁は、「韓国政府は前からこの問題を解決すると話してきたが、進展がない」として、強い不満を示し、「凍結されたイランの資金について、法的措置によって利子を取ることもできる」と話しました。ヘンマティ総裁はおととし6月に韓国を訪れ、洪楠基(ホン・ナムギ)副総理兼企画財政部長官と面談し、この問題で議論しています。

一方イラン政府は韓国タンカーの拿捕については「海洋汚染のためだ捕された。司法手続きによって解決されるべき問題で、イラン政府は介入できない」という立場です。

テヘラン路に象徴される韓国とイランとの友好関係は韓国タンカーの拿捕により破局に向かっています。外交部の関係者は「創意的な方法」で解決を図ると話していますが、イランとの外交だけでなく、アメリカとの外交まで絡んでいるこの問題をどう解決するのか、韓国外交部の手腕が問われています。

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