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国立中央博物館『歳寒図』展

#マル秘社会面 l 2021-02-10

玄海灘に立つ虹


今、国立中央博物館ではたった一つの作品のための特別展が開催されています。チュサ(秋史)キム・ジョンヒ(金正喜)の『歳寒図』です。国宝となっているこの絵は幅70㎝の水墨画ですが、韓国の文人画の神髄だと言われています。

今回の展示は、この貴重な国宝が個人のコレクターの手から国立中央博物館に寄贈されたことを記念するために開かれているものです。展示はメインとなる『歳寒図』の巻物の展示のほかに、この国宝とかかわった人々の資料、そして歳寒図をテーマにしたフランス人アーテイストの映像作品などで構成されています。

金正喜は朝鮮時代の学者ですが、現代風に言えばマルチな才能にあふれた芸術家でもありました。詩・書・絵画のすべてにずば抜けた才能を示し、特に独創的な書体である「秋史体」を創案したことで知られています。そのほかにも考証学や金石学など、多方面に関心を持ち、24歳の時には父に従い清国を訪れ中国の学者たちとも交流しています。


そんな金正喜が流刑の地となった済州島での8年4カ月の暮らしの中で生まれたのが『歳寒図』です。絵には田舎の素朴な藁ぶきの家とその左右に松とコノテ柏の木が合計4本描かれている、ごくシンプルな絵です。余白の多い、この絵には流刑の地での孤独が現れていると言います。


展示されているのはその歳寒図を中心にこの絵に対する20人の感想が書き込まれた巻物です。『歳寒図巻物』は長さが1469.5㎝に及びます。


『歳寒図』は流刑になった後も忘れずに書籍や手紙を送ってくれた弟子のイ・サンジョク(李尙迪)にお礼の意味で描いて送ったものです。そしてこれを受け取った李尙迪は感激し、清国に行った際に中国の碩学たちにこの絵を見せて16人に感想文を書いてもらいました。この感想文と絵を一つに装丁したのが、『歳寒図巻物』です。さらに巻物にはのちに韓国人4人も筆を書き入れているので、合計20人の感想文が入っています。


そして今回の展示ではこの作品が国立中央博物館に落ち着くまでに、どんな人の手を経てきたのかが詳しく説明されていますが、その中心に日本人学者 藤塚鄰 (ふじつかちかし)さんがいます。藤塚教授は京城帝国大学中国哲学科教授だった時に金正喜に関する膨大な資料を集め、その際にこの絵も手に入れました。藤塚教授の金正喜研究に関しては2009年に韓国の秋史研究会がその博士論文を韓国語に翻訳して出版したほどです。


藤塚教授の業績について、韓国の著名な美術史学者のユ・フンジュンさんは「異国の学者が異国の昔の学芸にこんなにも切実な尊敬を示し、情熱をもって研究に生涯をささげたという事実自体に深い尊敬と驚き、そして恐ろしさを同時に感じている」と言っています。


藤塚教授は1944年、書道家のソン・ジェヒョン(孫存馨)がソウルから東京にやってきて2か月間に渡り毎日訪れ、どうか歳寒図を譲ってくれと懇願すると、何の対価も求めずに渡したと言います。その際に「私が歳寒図を再び朝鮮に送るのは、朝鮮の文化財を愛するあなたの気持ちに感嘆したからだ。そしてあなたと私は共に金正喜先生の弟子ではないか」と述べたといいます。


また藤塚教授の息子の藤塚明直(ふじつかあきなお)さんは2006年に父の集めた金正喜に関する資料2700点あまりと、金正喜の直筆の書20点、研究費200万円を京畿道の果川市に寄付しています。果川は金正喜が流刑の刑が解けたあと、晩年を過ごしたところで、現在はここに金正喜の記念館が作られています。


『歳寒図』という名前は論語の「寒さの厳しい季節となり、ようやく松と柏の枯れないことを知る」という一節から引用したということです。国立中央博物館で開かれている 『真冬を過ぎ春が来るように―歳寒、平安』特別展には、『歳寒図巻物』と共に藤塚教授に関する資料も展示されています。

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