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全斗煥元大統領が死去 生涯つきまとった光州事件に対する責任問題

Write: 2021-11-23 14:06:08

Thumbnail : YONHAP News

全斗煥元大統領が23日、死去しました。全氏が率いた軍事政権時代など、その生涯を振り返ってみます。 
全氏が歴史の舞台に登場したのは1979年でした。
全氏は、1979年10月26日に当時の朴正煕(パク・ジョンヒ)大統領が暗殺された直後、その捜査を指揮し、同じ年の12月12日、上官にあたる戒厳司令官を逮捕する「粛軍クーデター」で軍の実権を掌握しました。
翌年、1980年の春、民主主義へ向けた人々の熱望が一気に爆発し、学生を中心とする大勢の人が、街頭に繰り出して民主化を叫びましたが、全氏はこの民主化運動を弾圧し、なかでも光州(クァンジュ)には特別編成、訓練された部隊まで投入し、実弾を発砲するなど、弾圧を強めました。
そして、同じ年の9月1日、大統領に就任しました。
政権発足後、全氏は前の政権下で出されていた夜間の通行禁止令を解除するなど、国民の反感を和らげる政策を取りました。
またドル安、原油安、低金利の好況に支えられ、経済は成長を続けました。
しかし、学生運動家のパク・ジョンチョル氏への拷問致死事件や「共産主義者を中心とした社会のゴロツキどもを一掃する」という名目で、一般市民を強制収容所に送り、虐待した「三清(サムチョン)教育隊事件」、言論を掌握するために行われた「言論統廃合」など、強権統治を繰り広げました。
また軍事政権を安定的に延長させるため、直接選挙の導入を目指した憲法改正を最後まで拒否しました。
結局、退任後、クーデターや光州事件などを起こした内乱罪や、大統領在任中に数千億ウォンの不正資金を蓄財した罪などに問われ、1997年に1審で死刑判決を言い渡され、最高裁に当たる大法院で無期懲役刑が確定しました。ただ、その8か月後には特別赦免を受けて出所しています。
全氏は2017年4月に、自らの回顧録を出版しましたが、光州事件などについて一切謝罪せず、大きな批判を呼びました。
最近では、光州事件で軍の発砲があったことを証言したチョ・ビオ神父(故人)について回顧録で「うそつき」と記述したことで、死者名誉き損罪に問われ、在宅起訴され、1審で懲役8月、執行猶予2年の有罪判決を受けていました。
現在は、2審の裁判が進行中で、今月29日に結審のため公判が開かれる予定でした。

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