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独立協会に集った人々とその後

2020-03-28

KBS WORLD Radio

独立門と徐載弼(ソ・ジェピル)像 

徐載弼が設立した独立協会には、国際派知識人や民族運動家、それに当時二十歳前後だった李承晩(のちの韓国初代大統領)や安昌浩(独立運動家)など若い人材も含め多彩な人々が集まった。しかし、独立協会の解散で、メンバーはそれぞれの道を歩むことになる。


独立協会が主催した演説会「万民共同会」(1898年8月) 

大衆を動員して議会設立を要求した演説会で、若き李承晩は激烈な王室批判を展開した。やがて、議会設立要求は王政を廃止し共和制を目指す運動だと警戒され、独立協会は解散命令を受けた。


タプコル公園(旧パゴダ公園)の西側地区 

1898年当時、万民共同会の演説会はこの場所で毎週のように行われた。演説会を中止させようと軍隊まで投入され、流血騒ぎのなか、340人もの逮捕者を出す事態となった。


タプコル公園(旧パゴダ公園)の正門

1919年「3.1独立運動」では独立宣言書が読み上げられたタプコル公園。正門を抜けて中に入ると正面に東学党(のちの天道教)第3代教主・孫秉熙像が見える。


タプコル公園の孫秉熙 

秉熙は独立協会の人々とも交流し、西洋思想にも精通していた。東学党は1904年から1905年にかけて親日団体「一進会」と合流し、政党作りを志向していた時期があったが、思想的対立で袂を分けている。


中央大教堂(ソウル鐘路区) 

東学党は1905年に天道教と名称を変更。3.1独立運動では独立宣言書を読み上げた民族代表33人のうち15人は、孫秉熙をはじめとする天道教の指導者たちだった。1921年竣工当時、この大教堂は、明洞大聖堂、朝鮮総督府と並ぶ「京城3大建築物」の一つだった。


天道教中央大教堂と「3.1運動広場」

3.1独立運動では、天道教の印刷所で独立宣言書を大量印刷し、天道教の組織を通じて全国に配布された。また大教堂の建設資金も運動資金に投じられたという。


島山公園(ソウル江南区狎鴎亭)

「島山」は独立運動家・安昌浩の号。島山公園の中には安昌浩の墓と記念館がある。1973年朴正煕大統領の肝いりで、安昌浩の功績を顕彰するために公園が作られた。


島山公園の中の安昌浩像

安昌浩は19歳で独立協会に参加。独立協会解散後は、1902年から足かけ13年、2度にわたって米国に滞在し、在米韓国人組織や若者らによる反日救国団を組織。故郷の平壌には学校を設立する活動を行った。


上海臨時政府国務院の写真(中央が安昌浩)

上海臨時政府が設立されると直ちに上海入りし、内務大臣兼首相代行に就任、初代大統領李承晩が不在の間、臨時政府を実質的に取り仕切ったのは安昌浩だった。しかし、李承晩が上海入りすると路線対立が顕在化して辞職。1932年、奉吉の爆弾テロ事件に絡んだ容疑などで日本の官憲による取り調べを受けた。出獄中の1938年に韓国で死亡。

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