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李垠と方子の結婚から100年

2020-04-25

KBS WORLD Radio


1920年4月に行われた婚礼の正装をした英親王・李垠(イ・ウン)と梨本宮方子(まさこ)女王。 

本来はその前年1月に行われる予定だったが、父・高宗の逝去で延期された。


赤坂プリンス・クラシックハウス(旧・李王家邸)、李垠と方子の結婚にあわせて建設され、 

二人は戦後もしばらくここで暮らした。今は結婚式場として使われている。


徳寿宮石造殿。高宗が建設を計画したが、1910年に完成したときはすでに退位し、 

実際にここで暮らしたのは日本から一時帰国した李垠が4回使っただけだった。


石造殿のなかの食堂。1922年、李垠夫妻は生後8か月の長男・李晋をつれて里帰りした際も、 

ここに滞在。しかしこの滞在中に、長男が急逝した。毒殺説も囁かれた。


李方子が晩年をすごした、昌徳宮のなかの「楽善齊」。戦後、皇籍離脱に伴い日本国籍を 

失った李垠は、1963年に韓国籍を回復、病身で帰国したが、そのまま入院。1970年に死去。


李方子は、1989年に死去するまで、この「楽善齊」で、高宗の娘で李垠とは異母兄妹に 

あたる徳恵翁主と一緒に暮らし、福祉活動などに従事した。


歴代の国王・王妃の位牌を祀る「宗廟」。李垠は1926年純宗の逝去後に「李王」を継承。 

死後は、宗廟に方子とともに位牌が祀られている。


親王李垠と方子の墓「英園」。高宗の陵墓「洪陵」(南楊州市金谷)のすぐ裏手の山林の 

なかにある。墓の規模や建物・石像の配置は、歴代国王の陵墓と同じ形式がとられている。


李垠と方子の間に生まれ、生後8か月で亡くなった長男・李晋の墓「崇仁園」(ソウル市 

東大門区)。造成規模や形式は、父の墓「英園」とまったく同じ。

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