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昌慶苑動物園と李王家博物館

2020-06-27

KBS WORLD Radio

昌慶宮の正門・弘化門。中年以上のソウル市民には「昌慶苑動物園」の名前のほうが馴染みが深く、1909年から1983年まで70年間以上、動植物園と遊園地として一般開放された。


昌慶宮の正殿・明政殿。ソウルの5宮殿のなかでは最も古い正殿。正殿は南向きが普通だが、ここだけは東向きで、自然の地形に合わせて作られた宮殿であることを示している。


かつて「李王家博物館」があった場所から見た昌慶宮。ここは政治を執り行うというより、王妃や後宮など王室の女性たちの生活の場であり、数々の王室ドラマの舞台でもあった。


当時の案内図「昌慶苑十二景」。中央の平面図を見ると「明政殿」など古い殿閣を利用した「博物館」地区を中心に、左に「動物園」、右に「植物苑」があったことが分かる。


植物苑の「大温室」、1909年完成当時はアジア最大規模の西洋式温室だった。皇室お抱えの造園家福羽逸人が設計。当時の動植物園の施設で、今に残る施設はここだけとなっている。


内部には熱帯植物など70種が展示されている。真冬でも柑橘類の樹木の花が咲き、緑あふれる場所のため、若者達のインスタ映えスポットともなっている。


1912年に完成した「李王家博物館」本館。宇治平等院を模した建物で、徳寿宮石造殿に移転する1938年まで使用、重要宝物の展示品は現在の国立中央博物館に継承されている。


1918年出版された「李王家博物館所蔵品写真帳」とその収蔵写真の一部。国宝の金剛如意輪観音像「半跏思惟像」をはじめ、多くの高麗青磁の名品が収蔵されていたことが分かる。


国立中央博物館で展示中の高麗青磁。その購入年月日から李王家博物館の収蔵品だったことがわかる。当時、市中に出回っていた高麗青磁を買い集めたが、それらは高麗王朝の都・開城周辺の古墳から盗掘された盗品がほとんどだった。


元国王の高宗は、高麗青磁を見て「どこの国のものか」と尋ねたといわれる。当時の人々が高麗青磁についての知識がなかったというだけでなく、李王家博物館の蒐集品は、王室主導ではなく、博物館の日本人職員の手によって選ばれ、その後の文化財政策にも影響を残したことを物語っている。

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